「ハイムのひろば」をご覧の方へ
私は、モノ書き、写真撮影、旅、社交ダンス、サイクリング等を趣味としています。「偉人」の足跡を訪ね、そこでの発見をまとめていたこともあり、今般、「ハイムのひろば」をお借りして、太宰治の心中についてご紹介することになりました。こうした機会をいただけたことを大変うれしく思います。
齋藤英雄
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はじめに
3月中旬、筆者は津軽半島を車で五所川原市金木町に向かって北上していた。前夜降った新雪が、強風にあおられて地吹雪となり、時にはほとんど視界ゼロという状況である。「前が見えない。安全のため、ここで車を止めるべきか?いや、止まってしまうと、後ろから来る車に追突されるかもしれない。」初めての地吹雪の経験は、恐怖に満ちたものであった。
必死の思いでたどり着いた金木町には、「斜陽館」という民家にしては、巨大な木造建築がそびえていた。この建物こそ、太宰治(本名:津島修治)の生家である。これを一見しただけで、彼が極めて裕福な家系に生まれたことは明白であった。そんな恵まれた境遇に生まれ、昭和で最も著名な作家の1人となった太宰が、なぜ東京都三鷹市の玉川上水で心中することになったのか?おそらく、そこに至るまでには、複雑な事情があるに違いない。そんなことから、筆者の太宰への関心は高まっていった。
太宰治は、2回の自殺未遂、3回の心中事件を起こしたとされている。そして、この通算5回目で、ようやく目的を達する。
1)1929年12月:弘前の下宿で、自殺未遂。
2)1930年11月:鎌倉小動岬の海岸で、田部あつみと心中未遂。あつみのみ、死亡。
3)1934年3月:鎌倉にて、自殺未遂。
4)1937年3月:水上温泉にて、小山初代と心中未遂。2人とも、無事。
5)1948年6月:三鷹の玉川上水にて、山崎富栄とともに玉川上水に入水。両名死亡。
その後、再び斜陽館を訪れた時、この5回にわたる自殺・心中事件の原因を、ここの学芸員の方に訊いてみた。「太宰治は何度も、自殺、心中未遂をしていますが、何か精神的な疾患があったのでしょうか?」学芸員の方は、何となく的を射ない回答をした。
「私の個人的意見ですが、太宰が心中したのは、相手の方が、太宰を独り占めしたいという気持ちがあったからではなかったかと思います。『あの人は、妻の座がある。あの人には、子供がいる。それなのに、私には何もない』ということではないでしょうか」。
太宰の心中事件について調べていくうちに、ようやくこの回答の意味が、わかった。この小文の連載の最後にそれは書くつもりである。
それでは、次回よりこの謎解きの旅を、読者の皆様と始めることにしよう。
~つづく~
齋藤 英雄

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