8.太宰は本当に心中するつもりがあったのか?
過去の心中未遂事件と同様、三鷹での心中においても、「太宰は本気で死ぬ気がなく、山崎富栄による、無理心中であったのではなかったのか」という説が根強くある。この説の根拠は以下の通りである。
① 富栄の死顔は「はげしく恐怖しているおそろしい相貌」だったが、太宰の死顔は富栄とは対照的に穏やかでほとんど水を飲んでいなかった。
② 6月14日の朝、出勤途中のサラリーマンが、現在入水場所といわれているところに、皿を発見している。太宰は、青酸カリでも、この皿に入れて飲んだ(あるいは、飲まされた)のではないか。
③ 入水場所には、無理やり引きずられたかのような痕跡が残されていた。
これらが事実とすれば、太宰は入水前すでに絶命していたか、仮死状態だったと推測される。しかし、こうした根拠が、確実な証拠として確認されていないため、太宰が本当に心中するつもりであったのかどうかについては、今でも論争が続いている。もし、遺体を解剖し、精密に死因を分析していたら、このような論争にはならなかったであろう。戦後間もない1948(昭和23)年の状況が、こうした結果をもたらしたのは、残念である。
その一方で、太宰は上述したように、複雑な女性関係を抱え、また心中当時、体調が悪化する一方であった。さらに、美知子との間に生まれた、長男正樹は、今で言うダウン症であり、太宰はそのことに悩んでいた。そうしたことから、「ここで死んでもよい」という気持ちになったことも否定できない。つまり、山崎富栄による無理心中説については、肯定も否定もできないというのが、筆者の結論である。なお心中当時、太宰は税務署からの多額の所得税支払請求にも悩んでいた。しかし、これが心中の原因でないと、妻の津島美知子が書いた『回想の太宰治』には、明確に記載されている。
~つづく~
齋藤英雄

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