清国での勤務でも、多額の給料は現地の歓楽街で使い果たし、貯えはできなかった。「このままでは無一文で、日本に帰ることになってしまう」と反省し、滞在期間を延ばしてもらうことにする。しかし浪費癖は直らず、かえって料亭への借金を抱えたまま、日本へ戻ることになった。
戻った先は、神田三崎町の東京歯科医学院で、歯科医学生への講師を務めることになった。しかし、ここでいくら教えても大学を卒業していない英世には、大学教授への道は開かれていなかった。英世は自暴自棄になりかかる。そんな時、母シカが息子の放蕩ぶりを聞きつけ、英世を訪ねる。ここで英世はアメリカへ渡る決意を新たにするのであった。
しかし東京歯科医学院の月給は20円ばかりで、これでは生活するのが精一杯。とてもアメリカへの渡航費など貯えることはできなかった。困った英世は血脇守之助に相談するが、彼もそれほどの大金を出すことができない。そこで東京慈恵医院医学校の金杉英五郎教授や、北里柴三郎に依頼するが断られる。外国航路の船医になりアメリカへ渡ることも考えたが、船医には片道ではなれない。
万策尽き、守之助は留学の途を断たれた英世を慰めるため、箱根の澤温泉に出かけた。そこで東京麻布に住む齋藤弓彦一家に出会う。齋藤夫人は英世が夜遅くまで勉強していることに気付き、感銘を受け、後日守之助のところに、「自分の姪を英世にもらってもらえないか」と言いに来た。英世は「結婚よりもアメリカに行くことが先で、結婚などしたらもうアメリカに行く夢は実現できない」と話す。すると齋藤夫人は「結婚の条件として、持参金がわりに、アメリカへ行く旅費を工面します」と持ちかけた。結局、英世はこの話を受け、渡米旅費200円をもらって渡米した後、できるだけ早く帰国して結婚するという条件でまとまった。
アメリカに行く目処が立ったので、英世は郷里に帰り、両親、恩師、友人に別れを告げる。この際、小林栄から120円。八子弥寿平から100円の餞別を受け取った。100円といえば、当時土地付きの一戸建てを買える金額である。その他の親戚や友人からも10円、20円と餞別をもらい、英世はほぼ300円もの金を懐にした。
東京に戻ると齋藤家から200円を渡された。この日から出発まで5日間あった。この間に、大問題が持ち上がることになる。齋藤家から金をもらった翌日、英世は横浜に出かけ、検疫所の仲間に別れを告げた。仲間たちが、送別の宴をやると言ってくれる。英世は「これまで皆に世話になったから、今回は自分がもつ。一生に一度の洋行の宴だ。派手なところでやろう。」と切り出した。そして、その3日後、神奈川随一の料亭「神風楼」で関係者を集め、芸者をあげての、無礼講の大宴会を行った。翌朝、請求書を見て英世は仰天した。300円近い請求が来ていたのだ。まだ英世は、衣類も鞄も買っていなかった。守之助に相談するが、金策がつかない。船の切符も買えないまま、出港の日を迎えた。このエピソードは、英世が金に執着するタイプの人間ではないことを示している。
結局予定の船には乗れず、再び守之助のところに頭を下げにいく。守之助は、自宅の衣類から家具一式を抵当に入れ、300円の金を高利貸しから借りた。守之助は、その金を英世には渡さず、まず船賃を払い、必要な衣類などをその都度買って渡した(尚、結婚を約束した相手にまったく興味のなかった英世は、そのままアメリカに残り、間に立った血脇守之助が、齋藤家に200円を返すことを条件に5年後に破談とした。ただし、英世はこのことを、かなり気にしていた模様である)。
齋藤英雄

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