8.アメリカでの評価
英世の伝記には、アメリカでの生活はあまり詳しく書かれていない。彼に関する伝記が多く書かれた時代には、アメリカに調査に行くのが困難であったことが、その理由であろう。
私は、多くの日本人の例からして、アメリカでの英世の研究は、日本で騒いでいるほど高く評価されていないのではないかとの疑念を持っていた(実際、ロックフェラー医学研究所においては、英世は脚注程度の存在でしたかなかったという見方もある)。しかし、渡辺淳一氏が、アメリカ、南米、アフリカに至るまで、英世の足跡を追い続けてくだした結論は、これとは逆のものである。
アメリカでの英世は、文字通り寝食を忘れて働いた。彼の強みは、その粘り強さに加え、論文を書くスピードが日本人でありながら、非常に速かったこと。そして、アメリカの社会が、成果主義の社会であったことが英世に幸いした。彼は、猛烈な勢いで仕事をして、猛烈な数の論文を書き上げた。また、初めのうちは英語を話すのに苦労したものの、自己顕示欲の強さが幸いしてか、日本人でありながら、プレゼンテーションの達人であった。
さらに、彼の発見がヨーロッパの医学界で高く評価されたことも、有効であった。というのも、アメリカはまだヨーロッパに比べれば、医学の研究では後塵を拝しており、ヨーロッパの学会で評価されれば、アメリカでは、文句なく高い評価を受けたのである。
英世がどれだけアメリカで高く評価され、著名な人間になっていたかは、彼の恩人の血脇守之助がアメリカに視察に来た時に、アメリカ側の歓待ぶりを振り返れば、容易に想像できる。ニューヨーク歯科医師会は、大規模な歓迎会を催したし、時の大統領ハーディングにも面会する機会を与えられている。英世のアメリカでの影響力は、当時の日本の駐米大使を凌ぐほどのものであったとも言われている。このアメリカでの歓迎に血脇は感動し、「これまで英世に送った金を上回るお返しをもらった」と述壊している。

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