2.フィラデルフィアとペンシルベニア大学
ニューヨークの空港で、レンタカーを借りる。米国内を旅行するには、航空機とレンタカーの組み合わせが最も効率が良い。今回は、カーナビをオプションとして付けてみると、異国の地でも道に迷うリスクは大幅に減り、気持ちが楽になる。
フィラデルフィアは、ニューヨークと首都ワシントンのほぼ中間に位置し、人口150万人(広域都市圏では600万人強)の大都市である。18世紀を通じてフィラデルフィアは北米最大の都市で、独立戦争時、州議事堂(現独立記念館)で大陸会議や独立宣言の起草が行われた。
また、有名な大学(ペンシルベニア大学、テンプル大学、ドレクセル大学、トーマス・ジェファソン大学など)が多数あり、ペンシルベニア大学、ドレクセル大学があるところは、University City (大学都市)と呼ばれている。
こうしたことから、英世がフィラデルフィアにやって来た明治時代には、日本から米国へ留学する人々の多くは、この街を目指した。内村鑑三、津田梅子、新渡戸稲造などが、その例としてあげられる。
現在、フィラデルフィア中央駅とも言える30th Street Stationは、かつてのこの街の栄光を象徴する巨大な建物である。ただし、野口英世がこの街に来た時、この駅はまだ存在せず、別の場所にあった旧中央駅に降り立った。
英世は、この街の西部にあるペンシルベニア大学にフレクスナー博士を訪ね、ここで約3年間勤務した。ペンシルベニア大学の歴史は非常に古く、アメリカが独立宣言を行う以前、つまりまだアメリカがイギリスの植民地の時代であった時代である1751年にベンジャミン・フランクリンによって設立された。
実は、英世の勤務した研究室がどこにあったのか、かつては不明であったが、この大学の教授であった浅倉稔生(としお)氏の努力により、ローガンホールにあったことが突き止められている。(『フィラデルフィアの野口英世』(浅倉稔生著 三修社))。
なお、ローガンホールは老朽化し、近年大改修が行われた。その時の資金提供者の娘の名前を冠した「クローディア・コーエン・ホール」というのが、現在の正式名称である。もはや、英世やフレクスナーが研究した痕跡は残っていないが、極めて重厚で大規模な建物である。

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写真1 クローディア・コーエン・ホール(ペンシルベニア大学)
英世は、初めてこの建物を見た時、圧倒される思いがしたに違いない。

エッセイスト 齋藤英雄

野口英世の遺功を米国に訪ねる(3)に続く

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