3.ロックフェラー医学研究所と野口英世の評価
約3年間のペンシルベニア大学での勤務、1年間のデンマークへの留学の後、英世はフレクスナーとともに、ニューヨークのロックフェラー医学究所(現ロックフェラー大学)へ移った。
ロックフェラー大学は、ニューヨーク市マンハッタンのアッパーイーストサイド、イーストリバーに面したところにある。現在博士号取得をめざす200名の学生(世界中から集まっている)への教育と、研究機関という2つの役割を担っている。これまでに、ノーベル賞受賞者を23名輩出している名門であり、ここへの入学は非常に難しい。
現在、ロックフェラー大学の内部には、関係者以外は立ち入りを制限されている。我々は、前日訪問したロックフェラー・アーカイブ・センターの紹介で、入ることができた。
「野口英世は、彼が生きていた当時この研究所の中でどのような評価を受けていたのか?」。
この疑問に回答を出すことが、今回の取材目的の1つであった。そして、こうした疑問に答えていただくため、ロックフェラー大学広報部の方に内部をご案内いただいた。その結果、英世はここで高い評価を受けていたことに間違いないと確信した。
以下は、大学広報部の方の見解である。
「現在の研究者に聞いても野口英世について、知っている人はほとんどいないと思います。それは、彼がここにいたのが、今から100年も前のことだからです。しかし、そのことは野口に限らず、当時の他の著名な研究者についてもあてはまります。図書館の閲覧室の入り口の両側に、野口英世の胸像と、

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写真2 野口英世の胸像と写真(ロックフェラー大学)
ジョン・D・ロックフェラーの2つの胸像が置いてあり(それ以外の胸像はない)、英世研究室のメンバーの写真(写真2の胸像の右)も飾ってあります。このことから、英世は、ロックフェラー医学研究所において、高い評価を受けていたことがわかるでしょう。」
英世の評価については、私の予想した通りの説明であった。
なお、英世の研究室は、この図書館の北側に建つ、現在「フレクスナー・ホール」と呼ばれる建物の中にあった。この建物は、現在でも使われているが、内装は英世がいた当時とは、全く異なる状態になっている。「フレクスナー・ホール」の隣には、最新の設備を備えた新たな研究棟を建設中であったが、今後も英世の研究した建物は残ることになっている。

エッセイスト 齋藤英雄

野口英世の遺功を米国に訪ねる(3)に続く

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