5.ロックフェラー・アーカイブ・センター
英世は、西アフリカのゴールド・コーストのアクラ(現在のガーナの首都)で、黄熱病により亡くなった。
当時、黄熱病での死者は現地で火葬されたり、埋葬されていた。しかし、米国のロックフェラー医学研究所が「何としてでも野口の遺体を米国に戻せ」の指示。野口の遺体は、金属の棺に密閉された状態で送られた。そして、研究所が用意したウッドローン墓地に埋葬されるという、異例中の異例とも言える扱いを受けた。
ロックフェラー家の記録が大量に保管されているロックフェラー・アーカイブ・センター(ニューヨーク郊外のSleepy Hollow)では、野口の死の直前から葬儀の段取りなどの通信記録を見せていただいた。

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写真5 ロックフェラー・アーカイブ・センター
この電報や書簡から、野口のことを特にロックフェラーの息子(ジュニア)が、相当気にかけていたことがうかがえる。ジュニアは、野口とほぼ同年齢(英世より2年前の1874年生れ)であったということもあるのであろう。
最後に、ジュニアが英世の死を知った直後に、フレクスナー (英世がアメリカで最初に世話になった研究者) へ宛てた手紙をご紹介したい。
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1928.5.22.
フレクスナー博士
5月17日にお手紙を頂戴した後、野口博士の容体は悪化し、ついに最後がまいりました。彼の逝去を思うと悲しみに打ちひしがれ、また、貴兄がどれほど弱り果てていることかが分かります。極めて有能で、まさに脂の乗りきった時期、将来どれほど偉大な業績を上げるか誰も予想できないような人物が突然亡くなったことは、あまりにも大きな不幸で、私には受け入れることができません。
その一方で、彼が人生で成し得た偉大な業績、そして医科学の進歩に対する極めて大きな貢献は、我々にとって非常に大きな喜びとするところです。科学的な成果、人類の病気に対する無私の献身について、彼が高い基準を確立したことは、後に続く科学者の前例となり、刺激となることでしょう。彼の穴埋めを誰ができるかは、難しくて言えません。彼を失ったことを非常に真摯に受け止めております。
もちろん、野口夫人には、手紙を書いております。私が夫人を弔問することが適切でしょうか?それとも、現時点においては、それは彼女を当惑、苦悩させるだけでしょうか?
ジョン・D・ロックフェラー、ジュニア
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(原文は、Rockefeller Archive Centerの提供。翻訳は筆者。)
これこそ、英世が当時、アメリカでいかに高く評価されていたものを雄弁に語っていると思う(英世の逝去は5月21日。手紙は、その翌日の日付になっている)。

エッセイスト 齋藤英雄

野口英世の遺功を米国に訪ねる (終わり)

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