太陽は我々人間の命の根源であることから、古代より信仰の対象であった。時には、炎天に燃え盛る炎の激しさであったり、時には、暮れなずむ夕日の侘しさであったりと実に様々な表情を見せてくれる。そしてその荘厳な姿を何とか残したいと数多く写真に撮られるのも当然のことであろう。
しかし考えてみると、太陽自身はいつも変わらぬ姿でそこにいるはずなのだ。つまり、表情を変えているのは、山であったり海であったり風であったり、傍にいる脇役たちなのである。中でも脇役としての雲の存在は際立って大きいと言えるだろう。
厚い雲に覆われると太陽のその姿は全く見えなくなる。そして、雲が時間とともに濃淡さまざまに変化することで太陽の表情を全く違うものに変えていく。時には、先に紹介した「天使の階段」のように得も言われぬようなものになることもある。ことほどさように自然の力というものは表現し難い。
空を撮るなら「きれいに晴れ渡った時よりも少し雲があった方がよい。アクセントになるから」プロカメラマン・野村成次さんが言ったこの言葉には含蓄がある。この言葉を聞いて思い出したのは、かつて映画で名脇役として活躍した宇野重吉だ。私は、主役を盛り立てて、いつも渋い演技で観客を唸らせる宇野重吉が大好きだった。
写真と映画。少し話が逸れるが、良い芸術作品というものは、主役と脇役がそれぞれの役割を果たしてこそ成り立つものだ。脇役の働きで主役の演技がより輝く。どちらかが前に出過ぎてもダメでそのバランスが大事だ。そして、主役を見つけることは誰にでもできるが、脇役を見つけてそれをどこに配置するかを知っているのがプロの技量なのだと思う。
「雲があった方がいい」とボソッと呟く野村さんは、やはりプロの心と技を持っている。
~つづく~
(八咫烏)

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