風景だけの写真だとドラマ性は感じにくいが、そこに人が加わるといきなりドラマ性が大きく出てくるものだ。その人がその場所に居るのは何故なんだろう。そこに着いたばかりなんだろうか、或いはそこから帰ろうととしているのだろうかといろいろな考えが浮かぶ。

そこで構図が素晴らしいこの一枚の写真。背景は大きく広がる青空に白い雲。どこかの土手を男女が逆方向に向かって歩いている。おそらくは、全くの赤の他人の二人が、たまたま歩いて来てただすれ違っただけなんだろう。それとも、二人はここで暫く話し合った後、それぞれの方向に向かって歩き始めたのだろうか。シンプルな構図の中に何とも言えないドラマ性を感じる。

もし、二人の状況が前者なら話はあまり広がらない。もし、後者なら話はいくらでも広がってくる。私は、この写真を見たとき、レコードのジャケットに使えると思った。この写真をもとにしたドラマを考えてそれを題材にした曲を作ってもいい。そう、このジャケットではとびっきり明るい曲にはならない。やはり少し寂しげな人恋しいものになるだろう。

季節はいつだろう。土手の草の色は黄色に染まっているので晩秋から冬にかけてかと思いきや、男性が半袖であるところを見るとそうではなさそうだ。女性の服装も冬を控えてのものとは思えない軽装である。そこで出す結論はこうだ。暫く寒い日が続いたあとの秋の一日だが、その日は日焼けした男性が一旦仕舞った半袖を取り出すほど暖かい”インディアンサマー”の日だったのではないか。

若い日、入社したての頃、フォークバンドを組んでいたことがある。ジョーン・バエズ、PPM、ブラザーズ・フォー、キングストン・トリオ・・・。ある廃城の大きな石垣をバックに、4人がそれぞれ少し離れて撮った写真がある。いつか書くであろう曲のレコードのジャケットにするつもりだった。そう、あの頃もひとつのドラマだったのかもしれない。そんなことを思い出させてくれる一枚ではある。

同じ写真を見ても人それぞれの感受性によって受け止め方が違う。しかし、見ても何も感じない写真も数多あるのは事実だ。何が違うのだろう。プロカメラマンは、何を思いながらシャッターを切るのだろう。おそらく彼らは、他人がどう受け止めるのかは全く意識していないと思う。ただ、ひたすら自分の感性を研ぎ澄まして、その瞬間を捉えるだけなのではないか。そしてその結果、他人に感動を与える一枚を生み出すことになるのではと思っている。

この記事の内容は、野村さんから伺った話ではなく、全て写真を見て私個人が感じた感想です。(八咫烏)

~つづく~
(八咫烏)

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