6月10日、ハイム住民のお一人、カメラマンの野村成次さんを招いて講演会が開催されました。講演を快諾していただいた野村さんには改めてお礼を申し上げます。また、お昼前というお忙しい時に時間を割いて参加していただいたみなさん、ありがとうございました。楽しんでいただけましたでしょうか。
素晴らしい写真と軽妙なおしゃべりを堪能させていただきましたが、数々の写真はいずれも見慣れた風景でありながら自分の目で見るものとは違うものがそこにはありました。この「違うもの」とはいったい何なのだろうと少し考えてみました。その結果自分なりに一つの結論を見つけました。
野村さんは、いろいろな写真の一枚一枚について解説しているとき、「偶然」「たまたま」「ラッキー」「儲けもの」という言葉を何度も使われていました。確かに、結果的に満足のいくその一枚は「偶然」の産物かもしれません。しかし、私は、野村さんの言う「偶然」は決して単なる偶然ではなくご自身を謙遜された言葉だと思いました。まるで、神の力には誰も及ばないと言っているように。
その一枚の写真を撮るために取った行動や考えをお聞きすると、これは偶然なのではなく、”用意周到”に準備された時に起こった”偶然”であると思いました。つまり、最後の最後、シャッターを切る瞬間、そこにはやはり「偶然」があり、人間の力の及ばない世界があるのでしょう。そのことに気づいている野村さんだからこそ「偶然」と仰るのだと思います。
しかし、そこに至るまでの過程には実に周到な準備があります。季節を選び、時間を選び、方角を選んだ上で、空に、川に、雲に、鳥にレンズを向ける。更に光と影に、そして風にまで心を配る。奇跡の一枚を信じて何時間でも待ち続ける。一秒の何分の一の”瞬間”を撮るためにかなり前からカメラを構えてシャッターを切り続ける。一日に何百枚も時には1000枚も撮ることがあるといいます。まさに、”用意周到な偶然”を待っているのです。
写真をまったくやらない私にとって、今回の講演はある意味で衝撃でした。子供のころからデザイン的なものへの関心は人一倍あったように思いますが、絵画や映像に関する習い事は一切したことがなく全く知識がありません。そんな私でも、否、そんな私だからこそ野村さんの話に聞き入ってしまったのかもしれません。何か今後も後を引きそうな大変貴重な1時間でした。
~野村成次さんの講演会に参加して~
(八咫烏)

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