昔、子どもたちが遊んでいた小川が、
メダカがいなくなった、ホタルがいなくなった、カエルの声を聞かなくなった、
それは、農薬のせいだと思っていた。だがそれだけではなかった。 
人は美しいところに住みたくなる。人は便利に変えていった。
水を保水する山の雑木林は切られてしまった。山の裾野は開拓されて家が建った。 

夏の夕立は、美しい虹をつくってくれた。
今は雷が鳴ると、夕立ではなく、豪雨になる。美しい虹も生まれない。
なぜなのか? 分からない。分かったのは、気温がものすごく高くなったことだ。
夜は人工イルミネーションで街は美しく変身してしまう。そこに人が集まる。
夜空を染める花火大会も、大仕掛けで大勢の人を集める。大人の花火大会になった。
ベランダで、庭先で、公園で、親子が線香花火を楽しむ姿を見なくなった。

なぜだろうか?身近な自然や習慣を失ってきた。何でだろうか?
それに代わって、今は、防災訓練、避難袋の準備。年寄りをどう助けるかの話し合い。なかなかうまく進まない。何でだろうか? 

心の中では分かっている。心の中では準備もしている。
それを、毎日の生活の中で思い続けるのは、なかなか難しい。
何でかな? はっきり分からない。 

だけど、僕たちが水遊びをしていた川が突然、洪水となって田畑を埋めてしまい、家屋まで流されてしまう。
子どもがカブトムシやクワガタを捕りに行っていた小山が崩れて家を飲み込んでしまう。
何でかな?気温が高くなったのかな?
昔、寒かったら、山の小枝を拾ってきて焚き火をして暖を取った。お風呂を沸かすのも薪だった。
その頃は、小川にメダカもコブナも泳いでいた。夜になるとホタルが飛んでいた。 

変わった!
今は、水を沸かすのはガスか電気、ご飯を炊くのも電気。
街のビルを建てるのも電気やガソリンがなくては造れない。 
そこで思う。
遊びに出かけるときに防災を考える。川遊びに行くときに、海釣りに行くときに、山歩きに行くときに、ハイキングに行くときに、 
大自然の美しさの中に災害が潜んでいることは、もう否定できない。
時に、防災の心を思い出して、無駄になっても準備をして出かけたらどうだろう。
無駄になることを望んで、無駄を持っていく-。
だけど親子で川遊びや山登りや、海遊び、庭先での花火遊びなどがなくなったら、四季を楽しむ、生活も失う。
そこに防災の心は育たなくなると思うが、間違っているかな?と思ってしまう。 

もう防災準備は避けられないのですが。
 

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