= 橋の端 3 台和橋(川崎市:多摩区)
橋の端:第3橋は 「台和橋」です
二ヶ領用水に架かる橋です
府中街道の明王交差点(ジョリーパスタが角にあります)を北東方向へ曲がった先にあります
この台和橋の下には南から菅馬場方面に源を発する山下川が合流しています
合流部に餌が多いのか、鯉がたくさん泳いでいます
この橋の親柱部分には名称だけではなく、いろいろと飾りがあります
この橋も河が濁らない様に「だいわばし」ではなく、「だいわはし」となっています
花(梨かな?)と小泉次大夫のレリーフが飾られています
川崎の育ての親 二ヶ領用水 小泉次太夫
二ヶ領用水は「次大夫堀」とも呼ばれ
慶長十六年(1611年)に完成しました
と書かれています
【小泉次大夫】
徳川家康の家臣で治水家
14年の歳月をかけ、洪水等で荒れ地となった土地に多摩川の水を引いた
稲毛領、川崎領60ヶ村、およそ1850ヘクタールの田畑を潤す
農業用水路:二ヶ領用水を完成させ、川崎を豊かな穀倉地帯へと変えた
川崎区の妙遠寺に眠る
ここで【二ヶ領用水】のおさらいです
二ヶ領用水とは、慶長 16(1611)年に竣工した我が国有数の古い農業用水路です
小泉次太夫の指揮のもと、農民達が力を合わせて完成させました
二ヶ領用水の名は、旧稲毛領と川崎領の二ヶ領の農地にまたがって開削されたことに由来します
(大体の位置は
旧稲毛領:多摩区、宮前区、高津区、中原区 川崎領:幸区、川崎区)
「橋の端2」で紹介した多摩区:上河原堰から幸区までを流れる全長約32kmの用水路です
網目のように設けられたこの用水路を中心に地域共同体が形成され、川崎市の骨格をつくり上げてきました
昭和 30 年代半ば(1960 年~)の急激な都市化により、多くの生活排水が流入し、
水路にはヘドロが堆積し、悪臭や水質の悪化が問題となりましたが、
下水道整備が進んだことや、市民の日頃からの清掃活動などによって、
現在の二ヶ領用水の水質は、大幅に改善されています
農業用水路の役割はほぼ終えつつありますが、
都市の中で、憩いや安らぎを与える水と緑の空間として、また、川崎市の発展の礎を築いた歴史のシンボルとして、
多くの市民に愛され親しまれています
次世代を担う子ども達にとっても、自然と触れ合い、郷土川崎を知る貴重な生涯学習の場として、
将来にわたって残し、受け継がれていくことが期待されています
二ヶ領用水へは所々に川面まで降りる階段が整備されていて、水路沿いを歩くことができます
春には水路沿いの桜が見事に咲き乱れます
宿河原の桜が有名ですが、中野島近辺も見事です
二ヶ領用水には小さな人道橋も架かっていて、変わった構造型式も見られます
「いっぽんいりはし」 欄干に梨が描かれています
「こうやばし」木製の橋です 「はし」ではなく「ばし」です
水路沿いは木陰もあり意外と涼しいので、夏場でも朝夕はゆっくりと散歩できます
身近な自然の中に大発見があるかもしれません!