このシリーズもとうとう最終回を迎えることになりました。昨年11月下旬から12月上旬にかけての2週間の入院生活を無駄にしたくなくて、毎日、頭の中で日記をつけていました。そのおぼろげな日記を思い出しながら、読んでいて暗くならないように、枝葉をつけてお気楽闘病記と銘打って書き下ろしてきました。最後に、退院した日に感じたことを書いて終わりにしたいと思います。

人間、一生病気知らずで過ごせればこんないいことはないが、なかなかそうはいかない。誰しも、長い人生の中でいつかは病気になるであろうし、それがいつどんな形でやってくるかは神のみぞ知ることだ。過去2回にわたって、良い病院にかかれるか、良い医師に出会えるかについて述べてきたが、結論から言ってこれは非常に難しい問題である。

私は、60歳半ばまでは病気といえば風邪を引くくらいでほんとうに病院知らずに生きてこれていた。それが67歳になった途端、次々と病気に見舞われ、それも手術を必要とするほど比較的大きい病気になった。どこの病院に行けばいいのか全くわからずに困っていたときに役に立ったのは学生時代の同級生たちだった。

高校3年生の時に所属していたのがたまたま理科系のクラスで、今から思うと、将来の医師や薬剤師の卵がクラスの中にたくさんいたのだ。そして高校卒業後50年経って実際に医師や薬剤師になっていた彼らにお世話になった訳だ。

その中の一人、T薬科大学を卒業後、薬剤師として定年まで勤めあげた女性がたまたま近くに住んでいた。還暦近くの年になっても年に何回かは食事をご一緒する付き合いをしていたこともあり、何でも気楽に相談できた。実際、5年前に癌の手術をした時には、病気の発覚時から退院後の療養まで何かとお世話になった。

その彼女が、言った言葉で今でも印象に残っているのは、「大学の名がつく病院は避けた方がよい」というものだ。私は、いくら信頼のおける友人の言葉だとしてもちょっと言い過ぎのような気がしている。実は、彼女自身も大きな癌手術を体験しており、どの病院を選ぶべきかで随分と苦労があったのだ。

腫瘍ができたのが顔の一部だったことで、手術の結果、顔が大きく崩れてしまう危険性があった。しかし、長年医療業界にいてさまざまな事情に詳しい彼女は、外から開くのではなく、あごの中から切る方法があることを知っており、その手術を希望していた。

最初の3軒の病院では、口を揃えて外から開いてやる手術しかできない、それしか方法がないと言われたそうだ。これは女性としてとても辛いことであろう。何カ月もかけて希望の手術を受けてもらえる病院を探した結果、とうとう、「やりましょう、安心してください」と言ってくれる病院が見つかったのだ。彼女の場合、正確には、「選ぶか」ではなく、「選ぶこと」はできなかったのだ。