蚕影山信仰

3月中旬のこと、いつもよく行く生田緑地の中の日本民家園に久しぶりに入ってぶらりと散歩していた。そして、偶然にも養蚕の神様である「蚕影山大権現(こかげさんだいごんげん)」を祀っている祠堂(宮殿とそれを覆う鞘堂)が保存されていることに気付いた。祠堂の前には「馬鳴大菩薩」と書かれた大きな幟まで出ていたのでわかったのだった。私が訪ねた週には祭礼のために祠堂は開かれていて、中の宮殿の扉も開かれ、供物も供えられていた。これは、以前から気になっていた中野島で見た「蚕影山」の石碑につながるものでもあった。

蚕影山祠堂の全景

説明文

宮殿

馬鳴大菩薩像

金色姫伝説の彫刻
そこに立てられた説明文によれば、この祠堂は麻生区にあったものを日本民家園に移築し保存しているもので、昭和15年頃までは毎年3月23日に地区の養蚕講中に入っている人たちがこの祠堂に集まり祭礼をしていたとのことだが、今ではその伝統は途絶え、こうして移築された先で年一回祠堂を開いているのみ。神式の宮殿には「蚕影山大権現」すなわち「馬鳴(めみょう)大菩薩」が本尊としてまつられ(神仏習合?)、その側面には養蚕を日本に伝えたとされる「金色姫(こんじきひめ)」の伝説を表現した彫刻が施されている。さらに説明文では「馬鳴大菩薩」というのは中国の民間信仰に由来しており、貧しい人々に衣服を与える菩薩で、養蚕や機織りの守り仏として崇められている由。因みに、後で「馬鳴」を調べると、古代インドのカニシカ王時代に実在した詩人であることがわかった。それにしても、どのような変遷を経て実在の「馬鳴」が「馬鳴大菩薩」「蚕影山大権現」となり日本で信仰を集め、同時に「金色姫」伝説が生まれたのか、さらにまた一つの謎が生まれた。
また、養蚕の関連で言えば、この「金色姫」は東北地方の「オシラサマ」とも密接に関係しているらしいことが窺える。

(Henk)

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