北原白秋は、稲田村青年団から懇請されて、昭和4年(1929年)に「多摩川音頭」を作詞しました。

歌詞づくりにおよそ3年が費やされ、その全31節の中には、多摩川の四季や川沿いの情景、産物などが歌い込まれています。

最近関連の文献を読み、唄を聴いているなかで、「なるほどそういうことだったのか」と得心がいったことがありました。

第4節の歌詞にそれがあります。

「さらす調布 さらさら流れ なぜにあの子が かう可愛い」

「さらす調布」の「調布」は、通常ならば「ちょうふ」と読みますですが、この唄では「たづくり」と詠まれています。

そこで思い出したのが、「調布市文化会館たづくり」のことです。中野島から多摩川を挟んだ対岸に調布市があり、京王線調布駅の近辺には市庁舎や市の施設がいくつか集まっています。その施設の1つが「たづくり会館」なのです。

なるほど、調布市は、調布の古い読み方である「たづくり」を施設名に使っていたのですね。

それでは、なぜ「たづくり」と言われるようになったのでしょうか。

そこで、この多摩川音頭で詠まれている「たづくり」について調べてみました。

その結果分かったことは、この一節は「万葉集」から採られた本歌取りであるということです。本歌(巻14 東歌 3373)を見てみます。

「多摩川にさらす手作り(たづくり)さらさらに 何でこの児(こ)のここだ愛しき」

これは、詠み人知らずの歌ですが、「多摩川で手織りの布をさらさらとした水の流れにさらす女子を、自分はなぜかあまりにも可愛いと思ってしまう」という想いが込められています。

さて、「調布」を辞書で引くと、次の記述があります。

調布とは、古代日本における令(りょう)制下の租税の一種である「調(ちょう、つき)」として納めた手織りの布のこと。「つき(の)ぬの」「手作(たづくり)」とも称する。(日本大百科全書

下に掲げる絵は、メトロポリタン美術館が所蔵する歌川広重の「諸国六玉川(しょこくむたまがわ)」で、安政4年(1857年)の作品です。160年以上も前に描かれた、この絵の表題は「武蔵調布(むさしたづくり)」で、かつて武蔵国と呼ばれた東京の多摩川で、布をさらしている女子を描いています。 AY

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