わたしはどうなる  入院!入院!また入院!?・・・X氏のつぶやき㊷

昨年の11月から暮れに向かって入院を繰り返した私は、不安のドン底、もう終わりか?肺炎で2週間、退院してすぐに心不全で2週間、11月19日に退院したが、体に水が溜まってまた入院。12月28日、無理矢理退院。お正月は家にいたい。
ただそれだけでドクターの許可をもらった条件があるよとドクター。
「息苦しかったらいつでもいい、救急車で来るんですよ。正月1日、2日は私が当直ですから遠慮はいらんよ。あなたはご自分がどんな状態かよく理解していますね」
「もうそれは。でも正月は、見舞いに来てくれた人たちに元気な姿を見てもらいたいので」
「それは、そうですね。では水分は1日700cc以上は飲んではいけませんよ。体重は今60㎏ですね、63㎏になったらすぐ病院ですよ。今度水が溜まって尿が出なくなれば腎臓の数値が落ちている。すぐに透析の準備をします」
「はい!覚悟しています!」と言って、ハイムの人たちのいる住宅でお正月を過ごせることになりました。

肺や心臓に水が溜まったら抜くしかないのですが、ハイムの人が見舞ってくれると、毎日良くなっていくのです。ドクターが不思議に思うほど、なんでやろう?
「友だち」が薬になっていたのです。
それが証拠にお正月は、かなり体重が悪かったが、お友だちに支えられて三が日も良いお正月を迎えられました。ですが、初出の6日の日は、胸が苦しい、息苦しくて、救急車を朝から呼ぶのも近所迷惑だし、自分の車でと考えたが自信がない。混んでいる南武線に乗り、登戸駅に着いた。そこから病院まで歩いていくのが息苦しい。これはダメか!もうダメか!入院だろうな。心の中でつぶやきながら診察をやっと受ける時間になった。
当日、女医さんは、私の足のむくみを見ると、即入院ですね。と私の主治医と連絡をとり報告された。
「点滴だけで、入院しなくてすみませんか?」とわがままいうと、
「ご自分の状況を自覚してください。厳しい状況ですからね」
いつ生命を失うかわからない時間を通りすぎながら、それでも仲間とモスでお茶を飲みたい。せめてそれはやらせてもらいたい。
「わがままな患者!」
だが、ハイムの生活をしたい。もし入院したままになるなら、それでもいい。それまではハイムの仲間の側にいたい。
私のその気持ちをドクターは理解してくれた。「仲間と生活はしたいわな。わかった、腎臓が悪くなる薬だが、尿が良く出る薬を飲んでもらいますよ」
いいです!1日700ccの水は守ります。

谷底に向かっていた私の生命は、ハイムの仲間の元で暮らして、1日700ccの水の量を守りぬき。今はどうにか息切れもせずに会社にも出ている。ですが50歩歩いたら息がハァハァと言いだす。「あぁ、私は本当に悪いんだな。」と実感。ゆっくり歩けば、少しずつ慣れてくる。これだ!ゆっくりゆっくり歩けば、あと2月はもつだろう。3月に入ったら、いよいよ透析を始めよう。

そうしたら皆さんと山歩きもできる。好きな釣りにも行ける!ことになれば、この入院は私を新しく生まれ変わらせてくれているのだ。よし、透析だ。皆さん待っていて下さい。元気になってみせます。
正月を乗り越えて、やっと決意することができました。入院が私を元気にしてくれます。待っていて下さいね。

病魔と闘うXメン
1月10日

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