わるがき/その④ 「期待される子供たち」・・・X氏のつぶやき66

私の芝居を通して知り合った法律家一家の話です。ある日、芝居の打ち上げの時、参加してくれた弁護士さんが、息子さんのことで相談があるが、聞いてくれますか?と申し出があった。

相談は、もうわるがきの時代を過ぎている息子さんたちの話であった。

長男の方が東京の大学に行ったが、全く家に帰ってこようとせず、特に母親とは口もきかなくなった、ということ。

もう一人の弟さんは、中学生だが、部屋に閉じこもって食事も自分の部屋で、これまた両親と口をきかなくなっているという。弟さんは、学校に行くのも窓から出入り、顔も見せなく、絶えず同級生のわるがきが出入りするようになっていた。

なぜそうなったか?両親の息子さんへの期待が大きすぎる。というのもこの両親は二人とも弁護士で、息子さんにも、なにがなんでも弁護士になってもらいたく、大学は東大だ!と決めていた。

長男の方は、東大には行けず、私立の法学部に入学できたが、母親は不満をあらわにしたそうです。

上京していった長男は二年間一度も実家の大阪に戻ってこず、ただ仕送り金だけは続けており、なんとかこの長男と父親だけでも話ができるようになりたいが、どうしたらいいだろうか?という相談だった。

私の芝居は、テーマが高校生の妊娠で、産むべきか否かという生命の尊厳について公演したものだったからか、そんな難問題の相談をもちかけられた。

私は咄嗟にアドバイスをしました。

「長男さんとの関係を改善させるには、何らかの信頼を息子さんに持ってもらうために、お父さん十八歳頃の自分のことを、包み隠さず、ありのまま、恥ずかしいことも手紙に書いてだしてみてください。返事は期待してはダメです。彼に受け入れてもらうために、お父さんも十八歳の時は、こうだった、と伝えてみてください。必ず、何らかの反応があると思いますよ。学費等を仕送りしてもらっているんですから、息子さんは、断絶しているとはいえ、何かを気にして生活していますよ。」

私は、まずこの父親たちの一方的な押し付け教育が間違っていたことに気づいてもらって、心を閉じた息子さんの心を開かせるとしたら、共通の悩みを持っていた青春があったことをせきららに伝えることだ。と強く実行することを勧めた。

そして、父親は自分の十八歳頃の悩んだこと彼女との付き合いのことなども、ありのままを手紙に書いて出した。と連絡があった。それから一週間もたたないうちに、深夜に長男さんから電話があった。

「お父さんに相談したいことがあるが、家に帰りたくない。母親にも会いたくない。が相談したい――」

そのことを私にすぐに話してくれたので、ではホテルをとってあげて、ホテルで話をしたらどうです?その時は、私もホテルのどこかで待っています。もめることがあったら私が出てみますから――と。なんの役にも立たないが、父親の不安を取り払うために、私もホテルで待機することにした。

「お父さん、やりましたね!よかったです。」

「でも何があるかわかりませんから」

「お父さんも泊まるつもりで」

「そうします」

長男の相談とは「彼女のこと」であった。

付き合い始めたら、彼女から自分の出生地は差別されているところだといって、悩んでいることだった。長男も彼女も同法学部で人権について学んでいたので、差別問題は始めて経験する法的人権問題としてのしかかってきた。そのような悩みを父親の弁護士にぶつけてきたのは、息子さんが成長している証だと、私は言った。その割には大人のご両親が成長していないのです。

話がついたのは夜中の二時だった。父親だけがホテルのラウンジに降りてきて、私に中間報告をしてくれた。

「お父さんの手紙が成功してのですね。」と握手して御苦労をねぎらった。長男さんは、その朝東京に帰って行ったが、「彼女の問題」で父親との交流が始まり、息子さんは司法試験が通って、その後弁護士の道を歩くことになるのだが――

一方、弟さんの方は、一向に改善されずにドアの下からの手紙のやりとりのまま中学三年になってしまった。この息子さんは、私の芝居を観てくれていたので、いろいろ詮索せずに、私がタコ釣りに行かないか?と言っていると手紙を書いてみてください。何か反応があれば、理解できる船頭に頼んでタコ釣りに私が連れていきましょう。

ということで弟さんに伝えたところ、自分の友だちも連れて行ってもいいか?と返事が戻ってきた。

「よし、何人でもいい。私と一緒に行こう。」と伝えたら、口を利かなかった弟さんが、タコ釣りに行くについて、どうしたらいいのか?と聞いてきたので、必然的に父親との会話が始まった。四人のわるがきを連れて、和歌山の釣り船屋に行った。船頭さんも高校時代暴走族をやっていた人で、このわるがき四人の扱いは手慣れたものだ。

だが、このわるがきの心を開かせたのは船釣りで、船頭さんの指示通り仕掛けを海中に落として、操っているうちに大きなタコが釣れた。あっちもこっちも、四人の垂らす糸にタコが釣れ出した。

船に上がったタコがスミをわるがきに吹きかける!船上は大騒ぎ。タコが少年の腕に吸いつき、なかなか離せられない。船頭が来て、きゅっと握っていとも簡単に取り上げてくれる。

「おぉ!プロはすごい!」

とわるがきは叫ぶ。こんなに解放された時は少年たちにはなかったのか?

「おい!がきども、タコの刺身を食うかい?」

「うん、喰いたい!」

船頭さんがタコをさばいて刺身にしてくれた。私が皿にしょうゆを出して、少年たちに渡したら、生きたまま刺身にしたものを口にふくんで、もぐもぐし出した。

「船頭さん!うまいです!」

「タコ釣りは、面白いかい?」

「おもしろい!」

それから何時間かタコ釣りに夢中になり、わるがきの少年(弟君)が、私に声をかけてきた。

「おじさんは、よく釣りに来るん?」

「来るよ。」

「また、連れて来てくれる?」

と、話しかけてきた。もう大丈夫!わるがきの心はひらいたぞ。この大海原での出来た初体験、それが友だちと共に。

その夜、友だちの母親から、弁護士さんの家に電話がかかってきた。弟へのタコ釣りに連れて行ってくれたお礼の電話であった。母親が、電話に出て、この弟に電話にでるように言うと、少年は部屋から出てきて電話に出た。

「はい、ぼくです。あぁ、お父さんの友だちのおじさんに連れて行ってもらいました。」

別な家からも電話が入った。

「息子が興奮して喜んでいます。ありがとう。」

口もきかなかった息子が「お母さん、うちもタコ焼き作ってくれる?」と頼んだ。

この時を弟君は待っていたのか、タコ釣りをきっかけに、再び家族の中に入ってきた。

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