わるがき/その⑤ 「中学卒業後の茶話会」・・・X氏のつぶやき67

誰にでもある初めての同窓会は、中学生の時だろう。が私たちの時は、昭和二十二年の五月、やっと戦後の貧しさから少しずつ良くなっていく時代。だれが言い出したのか茶話会をやることになった。英語の担任が転校することもあって、三十六人の生徒のうち二十五人くらいが五月五日に講堂に集まった。

卒業生の半分は働きに行っていた。わずか2~3ヵ月なのに働きにいってる者はどこか大人びた会話だった。それぞれが近況を発表している中に、菓子製造会社に勤めていた、森本康彦が、自転車に一斗缶にはいった、「シオイリセンベイ」300枚程「社長が持って行け言われて持ってきた。みんなで食べてくれ。」と大きなトピックスが入った。先生が言った。

「森本君も信用されるようになったな。社長さんに先生お礼を言わないとな。」

「ええよ!こんなことで先生が出てきたらあかん。ぼくが頼んでせんべいを持ってきたんです。みんなで食べよう。」

「おぉ!森本やったな!」

その日は、森本のせんべい持ち込みで大変盛り上がった。また、森本の社会人としての人格のようなものもほめちぎった。

先生たちには、少しだけ酒を出していたので、それを森本が飲みだした。講堂の中の茶話会は各々が立ち上がり再び近況について話だした。

極みつけは、洋服屋の職人として就職した仲間が、やくざの手下になって、警察のお世話になった話が友だちから報告されて終わった。

「すげぇ奴がいるな!」

その後、森本は私の店にもせんべいを卸で配達に来ていたので、私の父親が「頼んでいた「シオイリセンベイ」まだ届かないが、どうなっている?」と聞いたので森本は、あの茶話会に持ってきたセンベイが注文を受けていたものを横流しにしたと白状した。

「そうか、それならその伝票、わしのとこに持ってこい。わしが払わないとお前は親方にどやされるぞ。はよ持ってこい。わしが払っておけば、お前は叱られずに済む。これからは黙って勝手にやったらいかんな。」

このわるがき森本は中学時代は貧困の生活を続けていたから、働き出して銭を手にすることになると有頂天になった。センベイの横流しは何度かやっていたようで、一年もたたずに大阪へ出ていった、だが、真っ当なところには働けず、「おしぼり屋」に働きに出た。飲み屋さんにレンタルおしぼりを配達する仕事だ。やくざがらみの仕事だが、私の親父が言ったことが心にあったのか「人のために働け!」ということを信条に「おしぼりや」で早くして専務取締役になった。

「どんなことも、嘘をついてはいかんよ」と私の父親に言い聞かされたことをも守っている。おかげで専務になれた。お前の父親のおかげだ、今も感謝しとるよ。

三十年が過ぎて大阪で会った時、森本はそのように言った。やくざの世界で働いているが、嘘だけはつかない男になったぞ。

同級生のみんなに知らせてやりたい程の森本の成長だった。センベイを横流ししていた彼の姿はどこにもなく、中学出を卑下する姿もなかった。

それから四年ぶりに集まった同窓会では、森本は幹事をやり、自分が誤った道を歩かなかったのは、君たちのおかげだ。まず、みんなさんにお礼を言っておく、とあいさつして始まった。心温まる同窓会になったのは言うまでもない。わるがきだった少年が、みんなに話を聞かせる程になった。老いた担任の先生が言った。私の誇りです森本君は――。あいさつで終わった。何事も心がけひとつで成長の糧になり、思いやりのもてる人間になれた1人です。忘れられない友人です。

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