つぶやき100回を迎えて・・・X氏のつぶやき100
思い起こせば、名も知らぬボーヤとの出会いから始まりました。
あのダンゴ虫のボーヤも来年は小学校にあがります。
はじめは、ハイムの自然の良さを、うつりゆくさまを見つけ出してつぶやき、やがて自分の事にうつり、多摩川との出会いを語り、ハイムの人のおもいやりある優しさに触れ、ここに住めた喜びをつぶやいてきました。
コロナ禍による生活の息苦しさや怒り、その反動で大自然の山の中に連れていってもらい、生きている事の喜びをもらい、それが不要不急の外出はひかえろ!という政府のお達しに逆らって出かけた事。素直に生活が出来ない中、ふと自分の少年時代、貧しかった田舎の生活をつぶやいた。そこには、精神的には豊かな暮らしがあった。ゲームもないテレビもない家が沢山だった。そのかわりトンボやチョウチョ、キリギリスやクワガタ。川にはメダカにこぶな、子供の遊び相手をしてくれる生物がたくさんいてくれた。
れんげ畑に菜の花畑!窓をあけたらそこにオニヤンマがいた。カエルもヘビもたくさんいた。
蚊帳の生活が心の豊かさをおしえてくれた。
懐古的になっては行けないと思いつつ、子供時代の生活体験は忘れることなく心のどこかで息ずいているのです。
このようなことはハイムの人と共有できると思いつぶやきました。みなさんの支えがあってここまで来れました.何か少しでもみなさんのもとに届いておればうれしいのでありますが。
さてさて!これからです!が私の頭は枯れかけて動かなくなりかけています。オイルが必要です。とて、このコロナ禍がおさまらないと心身ともに衰弱します。それはみなさんも同じですが.勇気がでる力がほしいですね。
ダンゴムシのボーヤもう一度力をおくれ!
100回記念に普通に暮らす生活で、幸せやなあ!と感ずるときはどんなものか、私なりにつぶやいてみますから、いろいろご意見いただけたら糧にいたしますのでお願いします。
田舎で暮らしていたときの事です。農家のおじいさんに南京の作り方を教えてもらって立派な南京が沢山出来ました。近所にお裾分けしたら枝豆をお返しに沢山もらい、作り方も教えてもらった。中学生の時、学校の畑に枝豆を皆で植えて、収穫ができたら生徒全員で茹でた枝豆を食べたときです。おじいさんが教えてくれた喜びと、生徒が先生が上手そうに食べてくれた事です。子供心にも充実した喜びがあった事を今も忘れられません。皆の顔が笑顔になったからです。
枝豆が作れた!
南京が作れた!
そのことが子供心に誇らしく思えた。自信のような者も感じていた。母に伝えると頭をなでてくれた。たったそれだけのことだが、寝床に入っても弟に語って聞かせる程幸せでいっぱいだった。
学校が遠足に行くと決めたとき、各自で弁当を持ってくるようにといわれると、弁当持っていくのなら、私は行かないと行った友達の弁当を先生が作ってくるから行きましょうといってくれた。ぼくらも彼女のためにさつまいものふかしたのをもっていった。
おばさんは、みんながそこまでしてくれるのなら、子守りをさせずに行かせると行ってくれた。彼女の家は子供が沢山いて、田んぼの作業が忙しいときはよく学校をやすんだ。
遠足に行くなら子守りをせよ!
というおばさんをわたしたちが行って説得できたときの喜びは飛び上がる程嬉しかった。
先生やったよ!
その遠足はクラス全員が幸せに満ちた。
これは子供の頃の幸せ感ですが人生の晩年になっての事を少しつぶやいてみます。共感してもらえたら嬉しいです。
小さな幸せ、ささやかな幸せが大きな喜びをくれます。かつて友だちになったダンゴ虫のボーヤが、私が蝉を手で捕まえてあげたら、四歳のボーヤが、叔父さんの蝉を捕まえた絵をかいてもってきてくれる。つ
りにいくかい?とさそうと、つりをしている絵をかいてもってくる。ボーヤの頭の中では、おじさんとのことをいつも思っていてくれる。遊んでもらえる夢をいだいて、幼稚園にかよっている。
よし、コロナがおさまったら釣りに行こう!と私も安全を万全にしてボーヤにつりの初体験をさせてあげたい、興奮させてあげたい!とワクワクしてその時をまっているのです。
また、友人がお昼を山に行って食べようか?と遠足気分で山梨方面の山に連れていってくれる。少し散歩をしてから里村におりてきて温泉に入って帰ってくる。これだけの事が、大きな喜びになって孤独な老人生活を明るく変えてくれる。こんな幸せなことは他には無い。年老いてから味わえる至福の極みです。
五十年も前に出会った仲間から手紙が届いた。演劇活動をしていた仲間です。その時代の事が今になって思い出して手紙を書いたといっている。その手紙をもらった私もその青春時代が蘇ってくる。有り難い友です。
高齢老人になって思う事ですが、笑わないでで聞いてください。
愛と恋とはちがいますね。愛する、と恋する能動的になるとどうでしょうか?
愛する、愛情を持って接する、は誰に向かっても愛する気持ちは持たねばなりませんが、恋をするは特定の人にですね。
年老いて恋をすると言えば、笑われますね。だが手に取る事が出来ない恋です。一方的な恋です、行動おこしたら変人として警察に厄介になるでしょう。思わぬ優しさをうけるとふと恋心が芽生えるのです。愛情とは別物です。生きる力になる恋です。このようなことを感じると毎日がいきいきとしてきますがこれは許されないでしょうか?
積極的にいうべきではないでしょうが、胸に秘めておくのならいいでしょう。だが、恋をすることは苦しいことでもあるのですが。
老いらくの恋と笑うなかれ!一人暮らしの老人にはこれは宝物です。
円満な家庭があるうちは、感じていない話ですが、私が問題提起してみました。決して手にするこの出来ない恋です。空に咲くバラの花です。老人だから出来る恋です。
と締めくくります。
さ、わいわいご意見ください。意見はくれなくてもかんがえてみてください。
愛する事と恋する事の違いを考えてみてください。素敵な夢が見られるかもしれません。
草花は生きているかぎり花をさかせます。だから水やりは怠ってはいけないのですね。
さ、最後です。これは多くの方が体験することですが。それほどに感激しませんが、実はこれこそ一人暮らしにとって幸せなときはありません。食欲が無くても元気に食事が楽しくできるからです。
つまり幸せは日常事にひそんでいるのですね。それを与えてくれるのは友です!仲間です!
ハイムの皆さん、仲良くしてくださいね。あのオニヤンマもアゲハチョウがふ化するのをまっています。とある数学博士がいってました。もう蝉の鳴き声は終わりましたが、これからはコウロギが、スズムシが友をもとめて鳴き続けます。独り者は友に、ご夫婦は相方に恋文をかいてみませんか?
ウワ!そんなことでけへんわ!それが自然ですが、若き日にはそんなことなかったと秋の夜長を楽しんでください。
元気に生きるために!
100回目ありがとうございました。
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とうとうここまで来ました。淡々とつぶやいて100号です。
どのつぶやきにも気負わないx氏の優しいまなざしがあふれています。
視点は360度。今度は何で来る?毎回が楽しみ。
まだまだ続いていきます。
これからも応援よろしくお願いします。
*******真っ先に原稿を読ませていただいています/編集人より