「多摩川の堤に再び立てるか」みどり香る5月…x氏のつぶやき125

入院、入院、また入院。
これで最後かと思った入院。
お前はどこまで医者の世話になるのかと、元気に育ててくれた母の声が聞こえてくる昨今の私。

桜の花は終わった。桃の花が咲き誇る季節。昨年は山梨の桃の郷に出かけて行った。みごとに咲いている花。桃の味が大きく育つように摘果している農婦の笑顔。5月の大自然を満喫したものです。

今年は無理だ!左足を痛めて杖をついての病院。院内は車椅子で移動になった私に手助けしてくれている友人が訪ねてきた。
「桃の里に行くのも無理だなぁ」
友人は院内を車椅子を押しながら声をかけてきた。透析センターの病室に行くまでの友人の問いかけに勇気を持って応えられなかった。
「畑のおばさん待ってるよ」と友人。
私に元気出せと言っているのだ。だが、私は応えなかった。足が治り2~3日後には別の病院でペースメーカーの手術を行う。10日間は入院考えておいてと医師の言葉の中には不安があった。元気な自分に戻れるのか?

ハイムのダンスクラブの日曜日、社交ダンスに参加した。
「心不全を防ぐために入れているペースメーカーの不具合が出て手術をするために明日入院します。10日間ほど入院してきます」
仲間に伝えると暖かい仲間の声が飛んできた。
「テネシーワルツをかけて待っているから手術しておいで」
「みんなで待ってるから帰ってきてよ」
「ありがとう。行ってくる」
集会場の階段をゆっくり上っていると、胸が熱くなってきた。私は仲間に支えられているのだ。弱気はいかん。必ずここに戻ってくるぞ!それにしてもこの足の痛みは!

絶好のシーズンを体調不良で病院の中。7年前に病院の窓から見た山あいの樹木は、今日も同じように桜の木もあり竹林もあり雑木林で風に揺られて小鳥たちのすみかをつくらせている。
今回は春、7年前は正月。今窓から見ると、風が吹くと小さな虫たちが飛んでいるように見える。桜の花が舞って飛んできた。
「また来たよ」と森に挨拶。
医師は、「手術は大丈夫。だから心配しないでね」と私を勇気づけてくれた。

入院した翌日2時ペースメーカー装着。線を入れる。手術が始まった。眠りは半分位、部分麻酔で手術。医師の話す声が聞こえる。手術が始まると、医師同士の確認の声が飛び交う。看護師がコンピューターに出ている数値を伝える。メスが入る。何か圧力がかかる。
「うまく進んでいるからね。がんばってね」
「辛い!辛い!辛いですね。もうすぐですよ」
助手の医師の声も聞こえてくる。4時間の手術は無事終わった
「カンペキ、カンペキだ」
手術をした医師が言った。
「終りましたよ。病室に移動しますからね。体が動かないようにベルトで縛りつけますね。明日まではこのままにして動かさないでね。手術はカンペキですからね」
私は涙が流出た。
「また助けられた!先生ありがとう」

その手術は本当に完璧だった。
私より先に手術した人は、傷口の血が止まらずと言う声が聞こえてきた。
私はこの調子だと1週間で退院できる。リハビリ病院で受けるより、自宅で療養し日常生活をした方が足腰の弱りは少なくて済む。
傷口の感染さえ気をつければ退院が良いと医師が言った。
「ただし、左腕は肩より上に上げてはいけない。風呂もいけない。傷口が治るまであと1週間。来週の月曜日に診察してお風呂もいいかな。まずこれで10年は大丈夫ですよ」
84歳の私に「これから10年は大丈夫ですよ」は、死ぬまで大丈夫だと聞こえてゾッとした。
あーやっぱり歳なのだ。

とはいえ、1週間で退院が決まった。ペースメーカーの手術は成功したが、左足の痛みは一向に良くならない。これではダンスどころか歩くことすら苦しいのだ。

その日曜日、ダンスクラブは開催していた。私は足を引きずりながら会場の地下室まで降りていった。
「おお、おかえり」
「早かったね。よかった!よかった!」
テネシーワルツの音楽が流れてきた。
「みなさんありがとう。今日は顔を見せにきました。皆さんのダンスを見て、今日は見るレッスンをして帰ります」
「よく戻ってきてくれた」
その言葉ほどありがたい友情を深く感じとった。こんな人生があるんだ!
がんばれ!がんばれ!――お前は1人でないのだ。

そう言い聞かせて退院から20日が経った。足試しに朝5時半ハイムを出て多摩川の堤に向かった。痛む!痛いぞ!杖をついてゆっくりゆっくり一歩一歩前に進めて陽光降り注ぐ堤の上に立った。
おお、草のつゆが細い葉までキラキラと輝いている。まだてんとう虫はいない。
あの土佐の元気な友人と朝日が昇る頃この堤にたって上りくる太陽に手を合わせた日、また友人達と河原でおにぎりを食べた日のことを。
この堤に連れてきて、小さなショウジョウ

さ、どっちに歩こうかと考えたが、足は動かない。立ったままセーヌの川のように美しい早朝の多摩川に再び立つことができないかと思っていたのだが、今日は立てたではないか。手作りのレイ(首飾り)をかけて、アメリカに飛び立ったボーヤは3年たったら帰ってくるのだ。
なんとしてもそれまで元気でいたい。
多摩川よ。私を忘れないでおくれ。
3年後にはあのダンゴムシのボーヤとこの包みをバッタを追いかけて転げまわる日を楽しみにしておくれ。

緑のブラウスを着た多摩川の河原ではウグイスが応えてくれた。待ってるよと。
どんな洪水が来ようが、必ず草木は立ち直るのだ。虫たちもよみがえり、魚たちもピチピチと水面をはねて元気を見せてくれる。

私も負けないぞ。必ずここにやってくるからと誓った。
多摩川は自然の営みの宝庫。私もその仲間に入れてもらっているのだ。

多摩川よ。感謝。

 

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