ハイムのみなさん 心不全で生死をさまよい生還しました・・・x氏のつぶやき136
つぶやきができるか心配ですが・・・。
朝、透析に行こうと血圧を計ったら220、下が100です。
間もなく出ますが、不安で病院に電話をすると「すぐに病院に来い。友人の車やタクシーではダメよ。救急車で来い」と。
この9月2日の朝のこと。
救急車が来た。4人の隊員。
「自分でできますか?」
「はい、大丈夫です」
14階からエレベーターで。1階に着くとベッドに乗せられ救急車の中へ。
「たま病院に行くからね」
それを聞いて車が走り出すと気を失った。
病院に着いた私は息をしていなかったそうです。
この息を失いつつある患者に全力で対処すべくドクターがチームを組んだ
肺に水がたまっている。
9月2日から3日4日と私は生きていないのかドクターに反応しない。
が、
呼吸を自分で始めた!少しだが。
「おい!助かったぞ!」
ドクターが叫んだ。20人の夜間のスタッフが私のベッドの回りに集まって叫んだ。
「良かった。助かったのよ!」
病院の空気が変わった。
次々と私の病室に入ってきて
「助かったよ。良かった!」
その言葉に病気の難しさが伝わった。
ナースさんたちみんなが私に声をかけに来た。
管を抜いたあとだから声がでないが、涙ぐんで応えようとする。細くなった手を握りあって喜んだ。
それから24日までほぼ20日間の入院。
単なる退院ではない。スタッフが組織された。訪問看護師。自宅で治療していく。身の回りの計画をたててスタッフを揃えた。リーダーが申しつけて車椅子で病院を出た。まだ本当の退院ではない。
だが、ハイムのつぶやきができました。
もう二度と入院しないことを誓って報告します。
ハイムで、杖をついて歩くのはまだダメだ。
外に行くときは車椅子でないとダメと言うことになっているのです。
転んで骨を折ったらもう終わりだと言われてハイムに戻った。
みなさんに伝えなかったのは、こういうことですので、つぶやきを書く心境ではなかったのです。
二度三度と生命の危機にさらされて、またみなさんの前に現れることができました。
新しい青春の夢を見ていました。私が歌手になって(あり得ないことです)多摩川の堤で、演奏会をやろうとしているのです。
夢で良かったです。
みなさんに元気な姿をお見せするには、なお2~3ヶ月はかかります。
今度、何かで入院となると、もう戻ってこられないと言われました。
それほど、日常に戻れるのが厳しいのですが、みなさんとお会いできるようリハビリなど頑張ります。