秋晴れの多摩川・・・X氏のつぶやき74

冷えた朝は、川面にモヤが漂い、秋の虫たちがヒョロヒョロと演奏。
遠くでは縄張りを宣言しているモズの甲高い鳴き声。
「あぁ、秋の始まりを告げているぞ」と耳を澄ます。
目の前には、セイタカアワダチソウが黄色い花を出している。その傍らで時を終えた彼岸花が頭を垂れている。
センチメンタルな気分を支えてくれたのが、川面を低く飛び交う渡り鳥か?どこに着水しようかと何十羽もが、整列したまま飛んでいく。

多摩川の自然界も衣替えを始めている。草花も色さまざまな表情をして、美しい絨毯のようにも見える。楽しい朝の多摩川。散歩、ジョギングする人も衣替え。ここに立つ私の心も衣替え。緑の香りいっぱいの空気を吸って、あぁ!今日も元気で!ありがとう!と過ぎ去った夏にも感謝。

草むらには、冬支度に入ったカマキリが枯れ草に止まっている。その横でシジミチョウが舞っている。ほんのわずかな時の変わり目の生き物の姿を見て、私たちはどうなのかな?と思いをはせた。

山には栗が、松茸が、海にはサンマが、食卓を飾ってくれる。テーブルも衣替えだ。食事が一段と楽しくなる鍋料理。友人と山歩きで紅葉の色に染められて、心は恋に落ちる。秋が心に刺さってくる。そんな時、多摩川堤から眺める夕焼けの空を見上げて、少年時代、陽が沈むまで野池で釣りをしていて、帰ってくると、父親の怒る声が飛んできた。
「今までどこで遊んどるんか?!」
「家の手伝いは済ませて、釣りに行ってるんです。」と母が助けてくれた。
「早く飯を食え。みんなは終わってるぞ」
と父は言って、それ以上叱らなかった。陽が沈むまでに帰っていれば、叱らずに済んだのに—といつも反省の繰り返したが、魚はその時が釣れたのだ。−−と多摩川の堤に立って、はるか過ぎ去った少年時代を思い起こさせてくれる、あの美しい秋の夕暮れなのだ。秋の夕暮れは、つるべ落としという。あっと言う間に陽は沈んでしまう。真夏ならまだ働いてる気分に。感傷に耽る季節に、我心は行き場のない気分に襲われる。あぁ!多摩川よ、私を包み込んでおくれ。

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