染めぬいた紅葉―秋の終わりに・・・X氏のつぶやき76
ハイム4号棟の裏、キノコの小径。
木樹の紅葉は終わりに近づいた。その美しさは、名残惜しむ うらかなしい寂しさにつつまれた。山の紅葉とは違って、背丈の低い垣根の木から鮮やかに染まって眼をひきつけた。マンションの窓から見える大木の紅葉はヒヨドリが飛び交い鳥たちも歓びを表していた。
その小径を通る時、ふと足は止まって、京都で咲きほこるモミジの圧倒される紅葉とはまるで趣は違う。
が、心に迫りくる秋の憂いはこの4号棟裏の紅葉が美しく映ったのはなぜだろうか?きどらない生活の中で染まってくれたからか。桜の木の葉が色づいて散っていくのも美しいが、ひっそりと紅葉する木樹の営みが美しい。足元から眼の上に語りかけてくれる紅葉の小径。何度振り返っても語りかけてくれる秋の紅葉がここにあった。昨年はどうだったのかと思うがそれは思いだせない。私の心の問題なのか?今年は美しいl紅葉でした。散りゆく葉を見て自らの心がはがれて落ちるように、もの悲しくやるせない秋の終わりを感じるばかり。「もう終わってしまうのか!ありがとうよ」
子供に語りかけるようにつぶやいて別れを告げた12月13日。
ハイムにもすばらしく美しい紅葉の小径があったことを覚えておこうとつぶやいてみました。
こんな気持ちは、恋人にラブレターを書く時に似ているのだろう。甘ずっぱく胸いっぱいに充満する語りかけたい思いがつのります。