帽子と連れ添って四十年、帽子を大切にしてあげて!・・・X氏のつぶやき99

帽子、と一言に行ってもその出会いはひと様々ですが、そのときそのときの思い出は捨てがたいものがありますが、そのわりには大切にしていませんかも?と思うのです。

我が子が幼稚園、小学校に上がると、まず白い帽子、赤い帽子からはじまり、山や川にいくときは麦わら帽子、または少年野球帽子。それらにはなみなみならぬ思い出がありますが、子供が成長したらそれほどに大切にされていません。
と思うのですが。そんな事無いよ!と言ってくれる人がおればうれしいのですが。

私の事で恐縮ですが、捨てきれない帽子があるのです。
さあ、皆さん帽子のことを軽く扱っていませんか?
靴の事で泣いている、怒っているよ、いいましたね。帽子だってぞんざいにされたら泣いてしまうでしょう。

私には三十年間愛用してきた帽子があります。不織布の紺色の帽子です。四つに折畳んで旅に持っていけるのです。アメリカやヨーロッパに撮影の仕事で行く時に被っている帽子がそれです。写真を見るたびにその帽子を被っています。

最近はハワイのカパルアゴルフ場の帽子を被っています。山に行くときは、この帽子ではなあと思って新しいのを購入し、釣りに行くときはこれではなあとまた購入し帽子の山ができました。
そんなかんなで、不織布の海外用の帽子はお役御免になって、角の方に追いやられています.海外の仕事がなくなったのです。

あの帽子は晴れ帽子だった。
あの帽子は幸運の帽子だった。
あの帽子は元気をくれた。

旅先では縁起のいい帽子、手離す事が出来なかった。なのに今は用なしとは!

アメリカフロリダのウエストパームビーチで撮影をしているとき、突然海上に暗雲立ちこめアッというまにハリケーンがやってきた。
ホテルの部屋には雨水が吹き込みホテルのレストランの天井が落ちてきた。私の帽子は飛ばされた。3時ころにハリケーンは去った。私の帽子はホテルの玄関の角で見つかり私の手に戻ってきました。幸運の帽子。

イタリアのナポリの市場で撮影中、警備のために既にマフイアのボスを雇っていたのですが、別なマフイアの連中が襲ってきて、市場の花やや果物やの棚をひっくり返した。
何をするか!と怒鳴ったが雇っていたマフイアのボスが私の手をひっぱって角につれていき、あれは自分より上のマフイアだ。あの連中にも金を払ってくれといいだす。私は毅然と拒否したが、そうしてくれないとまた妨害しにくるという。こいつはグルだ!と思ったのでボスのいう値段の半分で話をつけた。命カラガラの交渉、そのときも不織布の帽子を被っていた。

ロンドンからニユーヨークに向かうパンナムの飛行機に乗って飛び立って30分、いきなり右側のエンジンが火を噴き、海上でオイルを抜いて、消防車が何台も待機するヒイースローの空港に引き返した。乗客は皆アーメン!危機一髪!火災も無く怪我人もなく、その飛行機のエンジンをとりかえて、15時間後にその飛行機でニューヨークに飛び立った。命の事を考えながら。そのときの写真もその帽子を被っていました。

さあ、この帽子どうしたらいいでしょうか?紺色はあせて、ぼろぼろになっています。旅行鞄のなにしまってあるように思うのですが、でてきたらどうしょうかと、いまハイムで帽子の整理をしていて懐かしく思い出しています。

皆さんにもそうした帽子がおわりでしょう。
そんなに冷たくしないで!と帽子がいってるようにおもうのですが。
帽子は、雨にも濡れ、雪にもうたれ、寒さにも耐え、熱さにも耐え、弱音を吐かず私をまもってくれた。
今度は私が帽子をいたわるときですね。ゆっくり休んでください.私はあなたのことは忘れません。

有り難う!私の愛した帽子!

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