夏の思い出は 戦後の田舎の盆踊り・・・X氏のつぶやき96

昭和20年8月15日終戦。

四国の讃岐平野の上空に爆撃機が飛んでこなくなって、漸く平穏な生活が出来るようになると、戦前に組織されていた婦人部と村の年寄りたちが、貧しい暮らしでも明るく元気をだそうと、戦場にいって男のいない中、婦人部が頑張って夏の盆踊りを復活させてくれた。ぼくら腹ぺこ子供はワクワクした。

香川県仲多度郡竜川村木徳村字本村と言っていた時代です。
村の盆踊りは、農作物の豊年満作を願ってのものです。田んぼには稲穂が実りだし、穂水がうまく降ってくれる事を祈って、一息ついている時期です。夏の真っ盛り、神社の広場に櫓を組んで、赤提灯をつるして準備にはいる。

夕食を早やめにすませて、婦人会のメンバーを中心に盆踊りの稽古がはじまると、子供も夜の外出が自由になるので、これも子供の楽しみであった。おおよそ夜に子供は出かけない。このときはおおっぴらに出かけた。

婦人会は盆踊り用ゆかたを自分らで縫い上げた.そろいの衣装が揃った。男衆はステテコにランニング姿に捻り鉢巻きのそろい。子供は女の子だけはゆかたをきせてくれたが、男の子はほったらかしだ。半ズボンにぼろのシャツにぞうり。何の不満も無かった。
子供の心をくすぐるものがあったからだ!
盆踊りの会場には出店が出ることになった。とはいえたいしたものは出ない。
カキ氷屋、金魚すくい、ラムネにみかん水とニッキ水くらいが出る。だがそれは子供にとっては大きなイベントだった。
親からおこづかいがでるからだ。とて、一円か二円、アイスキャンデーを買ったら無くなる!それでも嬉しかった!たいての子供はラムネを買った。友達同士で相談して別々のものを買って分け合う。これが田舎の盆踊り風景です。

盆踊りの歌は、豊年満作を願ったもの。良く覚えていないが、

一合まいたモミの種
一升一斗一石だ!

と甚句をうたいあげた。たんぼに米のモミの種を一合蒔けば一石にもなるとうたって踊りあかすのです。
櫓の上でうたったのは村のお年寄りの役目。太鼓は私の父が打っていたように思います。

そろいのゆかたを着て婦人会は踊り、ともだちのミッチャンもゆかたを着て踊ったので見違える程綺麗に見えて声がかけにくかった。赤提灯の飾りの下で、みな平和を味わって踊ったのです。村中の者が輪になって踊り明かした。村が一つになったようにもりあがった。
戦争の苦しさから解放されたように!夫が戦死した奥さんも汗を流し踊った。

また、何の目的にしていたのか分からないのですが、真夏の夕方、村の青年が、上半身はだかになって「シカシカ踊り」を踊った。盆踊りとは主旨が違っていたのでしょうが、私の父も後に長兄も踊ったのですが、シカシカ踊りはやがて踊らなくなった。これは青年が一人ずつ踊るもので男の踊りだった。長年踊らなくなっていたのですが、善通寺市が「シカシカ踊り」の保存会をつくって市が復活させたようです。その時私の長兄が覚えていて、市に呼ばれてシカシカ踊りの指導に当たって踊ったと聞いていますが、村で何のために踊ったのかわたしは知らない。激しい踊りであった事は覚えています。なぜ善通寺市が保存会を作ったのか、聞けばすぐに分かるのですが、幼い時に焼き付いた思い出の真夏の風景です!

というわけで、秋祭りがやってくるまでの盆踊りはどこの村も大イベントであったろう!子供たちが、おこづかいをもらえるイベントでもあった。
この時代こそ蚊帳の生活でした。

そして、この時代は村に男衆は戦争にいって少なくなっていたのですが、無事生還してきた農家や、若手が嫁さんをもらった農家で男の子がうまれると、どの家でも長い竹竿立てて鯉のぼりを上げたのです!緑の絨毯を敷きつめたような稲の葉先がたなびく田園風景の中に真鯉緋鯉が男の子はもう戦争にいかないよ!と青空に泳いだ!菜の花畑も、レンゲ畑も農村の平和を高らかに語っていた!

仲多度郡立川村木徳字本村が、善通寺市木徳町になってからか?
あの瀬戸大橋が架かり、村の中に高速道路が通る!計画が出てからこの田園風景は一変した。
村は農家が苦しい米作りをするより田畑を手放して大金を手にする事が出来る事を知ってから村は変貌した。
働き手の男衆は戦争にとられて農婦ひとりが子育てしながら苦しい時代がつづいたのだ!いまやっと田畑を手放せば楽になる話が飛び込んできたのだ!
農村風景が変わってしまったからとて誰が文句を言えようか!と私は思うのですが、貧しい時代を楽しく暮らしてきた子供時代を思うと、何かかけがえの無いものを失ってしまったようにも思うのですが...。

みなさん!たかが盆踊り、されど盆踊り!昔の農村の住民のコミユニケーションは盆踊りや秋祭りが中心だったように思うのです。

ハイムの近くの神社でもまつりが催されていて、夜店がドットがくり出します。賑わいは分かるのですが、土着したものが感じられないのは何故でしょうか。とてあのお神楽は見応えがあります。それを住民が大切にしているのか?そんなことを思ってしまう私はこまったものです!お前は懐古者だといわれそうです。

ですがどなたにも幼い子供時代の思い出は、人生の宝物になっていき、年を重ねるごとにその輝きはおおきくなっていきます。手にする事のできないダイヤモンドを何方ももっておられることをお伝えして真夏の思い出をおわります。

チョンギースのキリギリス、たんぼでゲロゲロないてくれたカエルさん、幻想的に飛んでくれたホタルさん!ありがとう!

    8月15日 終戦の日に

 

・・・峠越え なお思うはわがふるさと うねる思いは おさまらず・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Optionally add an image (JPEG only)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください