2018-10-14 / 最終更新日時 : 2018-10-14 Harimao 文芸散策 野口英世最期の地アクラ訪問記(3) 5.アクラにおける野口英世の足跡 1)ジェームスタウン(Jamestown) 1927(昭和2)年10月22日、野口英世はアメリカ客船スキシア号に乗り、ニューヨークを後にした。スキシア号は、アクラ行きの船の乗り換え地であ […]
2018-10-13 / 最終更新日時 : 2018-10-13 Harimao 文芸散策 野口英世最期の地アクラ訪問記(2) 3.アクラへの道のり 日本から、アクラへの直行便はない。ヨーロッパのロンドン、アムステルダム、ローマ、または、エジプトのカイロ、中東のドバイなどへ行き、そこからアクラへ行く飛行機に乗り換えることとなる。私たちは、最近非常 […]
2018-10-12 / 最終更新日時 : 2018-10-12 Harimao 文芸散策 野口英世最期の地アクラ訪問記(1) 1.アクラ訪問への逡巡 野口英世とジョン・D・ロックフェラーの取材のため、三浦基弘前編集長とともに、アメリカ東海岸を旅したのは昨年5月。この旅の終わりに、「今度は、野口博士が亡くなったアフリカに行ってみましょう」と、三浦 […]
2018-10-05 / 最終更新日時 : 2018-10-05 Harimao 文芸散策 野口英世の遺功を米国に訪ねる(5) 5.ロックフェラー・アーカイブ・センター 英世は、西アフリカのゴールド・コーストのアクラ(現在のガーナの首都)で、黄熱病により亡くなった。 当時、黄熱病での死者は現地で火葬されたり、埋葬されていた。しかし、米国のロックフ […]
2018-10-04 / 最終更新日時 : 2018-10-04 Harimao 文芸散策 野口英世の遺功を米国に訪ねる(4) 4.ウッドローン墓地 野口英世の墓は、ニューヨーク市ブロンクスのウッドローン墓地 (Woodlawn Cemetery) にある。 この墓地は実際に行ってみると、広大で、かつとてもよく手入れのされた美しい場所であった。一 […]
2018-10-03 / 最終更新日時 : 2018-10-03 Harimao 文芸散策 野口英世の遺功を米国に訪ねる(3) 3.ロックフェラー医学研究所と野口英世の評価 約3年間のペンシルベニア大学での勤務、1年間のデンマークへの留学の後、英世はフレクスナーとともに、ニューヨークのロックフェラー医学究所(現ロックフェラー大学)へ移った。 ロッ […]
2018-10-02 / 最終更新日時 : 2018-10-02 Harimao 文芸散策 野口英世の遺功を米国に訪ねる(2) 2.フィラデルフィアとペンシルベニア大学 ニューヨークの空港で、レンタカーを借りる。米国内を旅行するには、航空機とレンタカーの組み合わせが最も効率が良い。今回は、カーナビをオプションとして付けてみると、異国の地でも道に迷 […]
2018-09-30 / 最終更新日時 : 2020-12-22 Harimao 文芸散策 山陰旅行記(3) 〔5月9日〕 午前6時起床、7時から和式のお膳による朝食を食べた。バスは8時丁度に旅館を出発、豊岡市を過ぎ、河川敷の傍に設けられたコウノトリの餌場を横目に見ながら但馬の小京都「出石町」へ向かった。 8時40分出石町の駐車 […]
2018-09-30 / 最終更新日時 : 2018-09-30 Harimao 文芸散策 漱石山房記念館 新宿区早稲田南町に、昨年オープンした新宿区立「漱石山房記念館」がある。なんとなく居心地の良いところで、本日を含め2度ほど訪問した。新しくおしゃれな記念館の建つ場所は、夏目漱石が1907(明治40)年から、没するまでの9年 […]
2018-09-29 / 最終更新日時 : 2018-09-29 Harimao 文芸散策 「ハイムのひろば文芸館」近日公開! みなさん、いつも「ハイムのひろば」をご覧いただきありがとうございます。当サイトは、4月のリニューアル・オープン以来、おかげさまで大過なく半年が経過いたしました。 また、今月初めの「ハイムのひろば美術館」開館に際しては、大 […]
2018-09-27 / 最終更新日時 : 2018-09-27 Harimao 文芸散策 山陰旅行記(2) 〔5月8日〕 午前6時起床、朝食後7時50分にホテルを出発、米子道路を西進し、安来インターで下りて足立美術館に向かう。8時30分足立美術館に到着、開館は9時からであったが、添乗員の交渉で直ぐに入館でき、横山大観の海潮四題 […]
2018-09-26 / 最終更新日時 : 2020-12-22 Harimao 文芸散策 山陰旅行記(1) 山陰旅行記 平成21年5月7日~9日 佐藤 長光 〔まえがき〕 日本三景の中で未だ見たことがないのは天橋立だけであり、いつかは行ってみたいと思っていたが、初夏の絶好の季節を利用して平成21年5月7~9日に夫婦で松江城→出 […]
2018-09-25 / 最終更新日時 : 2018-09-25 Harimao 文芸散策 野口英世の遺功を米国に訪ねる(1) 1.アメリカへの道のり 野口英世のアメリカでの活躍ぶりについて書いているうちに、筆者は「英世が過ごした場所を訪れてみたい」と、強く感じるようになった。 2009年5月中旬、次の連載テーマであるジョン・D・ロックフェラーの […]
2018-09-24 / 最終更新日時 : 2018-09-24 Harimao 文芸散策 野口英世とアメリカ(12) 10.人生の不思議 英世の人生を振り返ると、「人間万事塞翁が馬」という言葉が頭をよぎる。彼が、1歳半で火傷をしたことは、大変な悲劇だ。母シカは、一生自分の不注意を責め続けた。「このような左手では、鍬を握れない。百姓はでき […]
2018-09-23 / 最終更新日時 : 2018-09-23 Harimao 文芸散策 野口英世とアメリカ(11) 9. 日本の医学会への反発 もし、英世が日本に止まっていたならば、帝大卒でなく、平民出身であるが故に、十分な研究ができなかったであろうし、また優れた論文を書いたとしても、正当な評価を受けることはなかったであろう。それを英 […]
2018-09-22 / 最終更新日時 : 2018-09-22 Harimao 文芸散策 野口英世とアメリカ(10) 8.アメリカでの評価 英世の伝記には、アメリカでの生活はあまり詳しく書かれていない。彼に関する伝記が多く書かれた時代には、アメリカに調査に行くのが困難であったことが、その理由であろう。 私は、多くの日本人の例からして、ア […]
2018-09-21 / 最終更新日時 : 2018-09-21 Harimao 文芸散策 野口英世とアメリカ(9) 7.メリーとの結婚 1911年4月10日、野口英世は、メリー・ダージスと結婚した。この経緯および、英世の妻メリーついては、『英世の妻』(飯沼信子著 新人物往来社)に詳しく記載されている。メリー・ダージスは、アイルランド移 […]
2018-09-20 / 最終更新日時 : 2018-09-20 Harimao 文芸散策 野口英世とアメリカ(8) 6. ロックフェラーと英世の出会いはなかったのか 英世はロックフェラー医学研究所において、看板研究者的な存在にまで上りつめていた。それだけの実績を生み出していたし、所長のフレクスナーからは、愛弟子と […]
2018-09-19 / 最終更新日時 : 2018-09-19 Harimao 文芸散策 野口英世とアメリカ(7) 5.野口英世とジョン・ロックフェラー 英世は1903年秋、念願の欧州留学のチャンスを得る。行き先は、デンマークの首都コペンハーゲンにある血清研究所。尊敬と親しみを感じられる所長のマッセン博士の下で、仕事の期限に追われるこ […]
2018-09-18 / 最終更新日時 : 2018-09-18 Harimao 文芸散策 野口英世とアメリカ(6) 4.ペンシルベニア大学にもぐりこむ 野口英世は「なんでもしますから、助手として雇ってください」と頼みこむが、フレクスナーは、「そんな約束はしていないし、自分1人で決めることはできない。申し訳ないが、日本に帰ってくれ」と言 […]