黒田官兵衛と藤の花~逸話

司馬遼太郎の「播磨灘物語」の中で、黒田官兵衛が劣悪な環境の水牢に1年以上も幽閉されたことが書かれています季節は初夏、親交を深めていた荒木村重の織田信長への謀反を考え直すよう説得に訪れた官兵衛は、その有岡城で1年にわたり幽閉されます。命もまさに絶えようとする状況の中で、窓から見える藤の花を眺めて、「藤よ、藤よ花をつけよ」と願う姿は、その藤の花の命に我が身を託していたようです。

司馬遼太郎氏の言葉を添えれば「いま、官兵衛の目の前にある藤の芽は、この天地の中で、自分とその芽だけが、ただ二つの命であるように思われた」。更に「生きよ、と天の信号を送りつづけているようでもあった」。その藤の花がイメージの中で喩えようも無く光り輝くように開いていきます。

官兵衛はその命を保ち、廃人寸前の身体で牢から助け出され、その後、黒田家の家紋は藤の花をあしらった藤巴に改められたという説があります。しかし、官兵衛の父親が小寺家に仕えた時、「小寺」の名前と「藤」の家紋は既に賜っていたようです(小寺家の家紋は「藤橘巴」(藤に三つの橘)。ですから、牢から助けられた後に家紋を「藤」にしたというのは史実ではありません。

因みに、有岡城に幽閉されるまでの官兵衛は小寺を名乗っていましたが、主家の小寺家が荒木村重の誘いに乗って毛利方につき、織田信長に攻め滅ばされた後は元の姓を名乗って黒田官兵衛となります。ですが、家紋は小寺時代のものをそのまま引き継いだのでしょう。

藤は日本の固有種です。初夏の頃、山裾の道をドライブしていると自生している藤を目にします。藤棚に整然と咲く藤の花も趣のあるものですが、まさに小さな滝のように「しだれて」咲く藤の花の鮮やかさには、季節の生命感が溢れています。

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