私のふるさと15~新宮出身 プロ野球選手列伝

青春時代のお話です。小さいころ野球が大好きで、当時の男の子はみなプロ野球の英雄、長嶋茂雄にあこがれておりました。そして甲子園で活躍して古豪とまで言われた新宮高校からプロへ進むのが夢でした。小学校時代は野球チームがまだなく毎日放課後にソフトボールのチームをつくって試合をするのが常でした。今のように子供用のユニフォームを着ているものなど一人もなく、せいぜい好きなチームのマークの付いた野球帽が人気でした。

中学に上がると早速野球部に入部しました。登校前と放課後の練習は思いのほか厳しく、昔のことですから今は禁止されているウサギ飛びなどは当然のことでした。毎日、朝4時に起きて、近くの山(蓬莱山)の石段の上り下り、また、別の日には、新宮川の砂浜を細かい砂に足を取られながらOKが出るまで走り続けました。この苦しさを乗り越えないと上に行けないと信じていたので諦めずに頑張りました。

そして、半年後に野球部全員が身体検査を受けることになりました。結果、私は急性腎臓病を発症しており、即退部せざるを得ませんでした。しかも一人ではなく同級の1年生合計9人が同じ病気でクビになりました。練習がいかに厳しかったかの証拠です。青春の夢がたった半年で儚く消えてしまったのです。

病名はネフローゼ症候群といい、具体的な症状としては、尿にタンパクがたくさん出てしまうために、血液中のタンパクが減り(低たんぱく血症)、その結果、むくみ(浮腫)が起こる疾患です。向う脛の骨の部分を指で強く推すと押したところがペコンと凹み暫く元に戻らないという症状でした。この時ネフローゼという言葉を初めて知りました。また血圧も上昇して若年性高血圧症と言われました。

その後、半年は、運動が出来なかったので退屈な日々を過ごしました。この病気を治すために家庭で出来ることは、塩分をできるだけ控えることでした。しばらくは塩気のない食事ばかりでつまらない毎日でした。でも治さないと一生拙い食事を食べ続けなければならないと言われ我慢して治療を続けました。

半年ほどしてようやく症状が軽くなったところでまた運動がしたくなりました。そして始めたのが卓球でした。走ることは、どんな運動でも基本であり、持久力をつけたり体幹をよくするためには必要なことでした。ただ、野球部ほどは激しくなかったので何とか持ちこたえ卒業まで続けることができました。団体戦で県大会で優勝したのが最高成績でした。

自分の夢は叶いませんでしたが、新宮高校出身でプロ野球選手になった人には次のような人がいます。余程の野球ファンでなければ知らないかもしれませんが。元阪神・前岡勤也(旧姓井崎)、元巨人/ロッテ・庄司智久、元近鉄・山崎慎太郎、元阪神/A・アスレチックス/SFジャイアンツ/東北楽天・藪恵壹などがプロ入りしています。

前岡(井崎)選手が甲子園で大活躍した時には、当時の球界で”金田二世”とまで言われた存在でした。しかし、結局は大成せず忘れさられてしまったようです。その後最も有名になったのは藪恵壹でしょう。阪神タイガースで活躍し、後、アメリカ・メジャーリーグまで経験したのですから大したものだと思います。

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