森本剛史君との想い出2~ブラジルに渡った1年5組の級友

2011年秋、故郷新宮で合併のため間もなく閉鎖となる蓬莱小学校の同窓会が開かれました。卒業以来ちょうど50年になる年で初めての同窓会でした。春には既に幹事から開催の連絡を受けており、私は閉校と言う言葉に寂しさを感じながら、一も二もなく参加を決めていました。

閉校に伴って発行された記念誌「ふじだな」には、森本剛史君が書いた文が、卒業生のメッセージとして掲載されていました。彼は、東京でトラベルライターとして活躍する卒業生の一人として新宮高校でも公演を行ったこともあり、原稿の依頼がいったものと思われます。

内容はブラジルに渡った1年5組の級友についてのエピソードでしたが、当時、遠くアメリカやブラジルへの移民団が新天地を求めて海を渡ったことが思いだされます。旅立ちの日、クラスの仲間が新宮駅まで見送りに行きました。幼な過ぎて移民の意味がよくわからないまま、ただ友との別れが寂しかったものです。

私自身は、数か月後にブラジルに渡った女の子から一通の手紙を受けとりました。大半は忘れてしまいましたが、「お元気ですか?ブラジルでは、お父さんのことを「パパヤ」お母さんのことを「ママヤ」といいます。」と書かれた言葉だけは今でも鮮明に覚えています。大きく乱れた子供の字でしたが、友と別れた寂しさが滲み出ていました。

森本君の書いた文章の最後の部分で親しかった友人として私の名前が紹介されていました。このことは彼から直接聞いておらず、見つけた私の姉から知らされました。仲がよく小学校から高校までずっと行動を共にしていたことの表れだと思います。ここでは、その文章をそのまま紹介します。
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ブラジルに渡った1年5組の級友   蓬莱小学校 昭和35年度卒業生 森本剛史
「俺よう、来月ブラジルへ行くんや。」蓬莱小学校校庭で、三角ベースの野球を楽しんでいたときだった。1年5組(担任は、榎本玲子先生)の同級生、堀切君が突然こう言った。「移民やろう?」と僕は切り替えした。「うん、家族全員で神戸からな。ブラジルのサンパウロへ行くんや。」昭和30年代初頭のことだった。

熊野地方は、明治時代から移民が盛んだったので、堀切君が突然地球の裏側へ行くと言っても、それほどびっくりすることではなかった。まわりを見渡せば、どこそこのいとこが、ブラジルでコーヒー栽培をして大成功しているとか、という話をよく聞いていた。

1976年、新婚旅行を兼ねて9か月間世界一周をしたとき、サンパウロに立ち寄った。日本人街を歩いているときに、ふと堀切君のことを思い出した。そうや、彼が移民でやって来たのはこの街や。僕はさっそく和歌山県人会へと足を伸ばした。たくさんの和歌山県出身者がサンパウロに住んでいたので、県人会館も立派な建物だった。

県人会館で事情を説明し、名簿を見せてもらったが彼の名前はなかった。担当の人は、それなら「串本」という日本食レストランへ行って聞いてみたら。あそこのおばあちゃん新宮の出身と聞きましたから」と言ってくれた。

「串本」で久しぶりの和食を食べ、店を切り盛りしていたおばあちゃんに堀切君のことを尋ねて・・「堀切ねえ、聞いたことない名前やねえ。それやったら新宮出身で故郷の人脈に詳しいAさんのとこへ行ってみたら、どうかいのう。」とアドバイスされた。

結局、4軒の熊野出身者のお宅を訪ねた末に、彼の勤務先がわかった。サンパウロ最大の青果市場の中の花屋さんで働いているという情報だった。その翌日、僕は市場に向かった。彼は僕のこと、覚えてくれたるかいね。ちょっとしかクラス同じやなかったさか、多分僕のこと知らんやろね。そう思いながら市場に行くと、が~ん、市場は休みの日だった。翌日早朝、サンパウロからイグアスの滝に飛ぶことになっていたので、結局彼とは会わずじまい。でもいつかは会えると信じよう。

もうひとつ、多分蓬莱小5年生のときだったと思う。担任は南良一先生だった。クラスメートの下部さんが、家族でロサンジェルスに渡った。彼女は阿須賀神社の近くに住んでいた。

ロサンジェルスにグルメの取材に行ったときのことだ。高校時代のクラスメートがロスに住んでいて、彼に連絡を取り久ぶりに旧交を温めた。彼と話していると新宮人で蓬莱小学校出身の女性を紹介してやるということで、会ったのが下部さんだった。何たる奇遇。小学校時代はふっくらとしていたが、実際の彼女はほっそりとしていて、美人になっていた。

蓬莱時代の友達の話で盛り上がったが、僕のことはほとんど覚えていなかった。でも、僕の実家の前の山中善行君のことはよく覚えていて、少しがっかりした思い出がある。

僕は還暦を過ぎてはや4年。まだまだ現役で仕事をしているが、仕事の合間の楽しみは故郷の仲間と会うことだ。蓬莱時代の友達では、伊藤忠を定年退職した西敏君、白百合女子高校でフランス語を教えていた稲垣雅子さん、イトーキに勤めていた榎本善行たちがいる。会えば故郷の話。故郷は遠くにありて思うもの。でも蓬莱小学校が廃校になるのはやはり寂しい。
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(これは、森本剛史君が亡くなる少し前に書いた文章で、懐かしさと共に先に逝ってしまった寂しさが募ってくる。)

西 敏
~つづく~

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