西行~その3

西行と言えば、「鼓ヶ滝」という大好きな落語がありますが、ご存知でしょうか?ぜひ紹介したいと思います。

八百年以上昔に、西行法師という有名な歌人がおり、今でも百人一首に「嘆けとて 月夜はものを思はする かこち顔なるわが涙かな」という歌が残っています。元々は本名を「佐藤兵衛尉義清」といい北面の武士でしたが、なぜか二十三歳の時に世の無常を感じて出家をします。

その後、各地を転々としていろんなところにエピソードが残っています。有名なのが、「西行桜」という能がある通り、非常に桜が好きで「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」といぅ歌を残しています。

噺は、攝津の国は川西村(今の兵庫県は川西市)に「鼓ケ滝」という滝がありました。綺麗な滝で、この水が滝壷に当たると周りにポンポン・ポンポンとこだまする音が、さながら鼓を打つがごとく聴こえるところから、誰言うとはなしに「鼓ケ滝」。

また、この水の勢いで白くなった丸い石、これが碁石で使われる最高級の白石で、ならば黒石はどこが一番かというと、これは那智の滝で磨かれた那智黒。鼓ケ滝の白石、那智の那智黒といわれています。

鼓ケ滝にやってきた西行法師が「およそ歌詠みと言われる者がこの鼓ケ滝に来たなれば、必ず歌を一首詠むと聞く。われも詠もう」と、大きな岩にドッカと腰を下ろし、美しぃ水の流れに目をやっております。

やがて、「矢立て」から筆をばスッと抜き取りサラサラと書いた歌が。
伝え聞く 鼓ケ滝に 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花

われながらよい歌である。数多くの歌詠みがこれに来たりて鼓ケ滝の歌を詠んだであろうが、われに勝る歌はなし」と自画自讃をいたします。われとわが歌に惚れ込んで鼓ケ滝の美しさに見とれているうちに、あたりが段々だんだん薄暗くなったので宿屋を探しました。ひょっと見ると、向こうに明かりがチラチラッと見えたので、這うようにしてやってきて戸の節穴から中を覗くと、七十に手が届こうかというお爺さん。その連れ合いのお婆さん、十五、六の孫娘が夕飯の支度をしてる真っ最中。

鼓ケ滝のあまりの美しさに見とれ宿を取り損じました。土間でも結構、ひと晩泊めてほしいとお願いする。食事を頂いた後、「ところでなぁ、われら山家(やまが)で生涯送る者、里の話を聞くのが何よりの楽しみじゃ。先ほど歌詠みと言われしからには、鼓ケ滝、さぞよい歌をお詠みになったことでございましょうなぁ。」

「いやいや、ほんの粗末な歌じゃ。しからば一宿の礼と申しては何じゃがお聞かせいたそうかのう」西行さん、口では優しい。お腹ん中「けぇ~ッ、こんな山奥の田舎の爺ぃに日本一の俺の歌が分かってたまるかい、ケッ」と思いながらも、一度しか申さんからよく聞かれ「伝え聞く 鼓ケ滝に 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」と詠んだがどうじゃ。

今までにも数多くの歌詠みがこれに来たりて、鼓ケ滝の歌も聞き申したが、あなたさまほどのよい歌は聞いたことがございません。見事じゃ、天晴れじゃ……。と言いたいところじゃが、一つだけお直ししてもよろしいかな?

今あなたさまは「伝え聞く 鼓ケ滝に」とお詠みくださいましたが、鼓といぅものは音の出るもんじゃでなぁ「伝え聞く」というよりも「音に聞く」としたほうがグッと調子がようござりましょうがな「つたえきく」「おとにきく」文字の数は同じ、そうなされてはいかがかな。

「なるほどなぁ『伝え聞く』といぅよりも『音に聞く』としたほうがグッと調子がよくなる」西行さん、認めざるを得ない。

それを聞いていたお婆さん……わしも直してあげたいんじゃがのぉ。今、爺どんが上の句直しなすったよって、わしゃその次のところじゃがなあ「鼓ケ滝に 来てみれば」といぅところ、鼓というのは打つもんじゃでなあ「来てみれば」といぅよりも「うちみれば」とした方がグッと調子がようござりましょうがな。下の方から見上げる「うち見れば」鼓を打つの「打ちみれば」二つが一つになってグッと調子がようござりましょうがな。

なるほど「来てみれば」といぅよりも「うちみれば」としたほぉがグッと調子が……、仰せのとぉりいたしましょう。

そこへ孫娘が現われまして……あのう、わたくしもお直しを。今、お坊さまは「沢辺に咲きし たんぽぽの花」とお詠みくださいましたが、これなら日本全国どこで詠んでも同じこと。この辺りは川辺郡(かわべごおり)と申しますゆえ「沢辺」といぅよりも「川辺」鼓ケ滝には「たんぽぽ」よりも「白百合の花」「川辺に咲くや 白百合の花」とお詠みくださいましたならば、これぞまことの鼓ケ滝の歌になりましょう。

音に聞く 鼓ケ滝に うちみれば 川辺に咲くや 白百合の花」先ほどの歌とは雲泥の差でございます。「なるほど上には上があるもんだ」と西行が恥じ入ったとたん、背中に吹き込む一陣の風、ふッと気が付くと今まで山家の一軒家だと思っていたところが、なんにも無い山ん中の松の根方。

先ほど山道に迷い込んで、疲れを癒そうと松の根方に腰かけてウトウトッとしたときに見た夢でした。「あぁ、われいささか歌道に慢心をいたしたか。白百合の花を鼓の音に引っ掛けてたんぽぽと返ししは、わが増長であったか。それを諌めんがため住吉大明神、人丸明神、玉津島明神の和歌三神が、かりそめにも今の三人に姿を変えて現われたまいしに相違ない。あぁ、われこれより決して歌道に慢心をいたすまい」と反省をします。

西行さん、これから血の滲むような修行をコツコツコツコツとして七十三歳、大阪の弘川寺でこの世を去ったのちも、日本人の心の中に歌の名人、和歌の天才としていまだに生き続けています。

どうでしたか?落語もなかなか勉強になるしいいものでしょう!
興味のある方は、こちらを参照してください。
「なごやか寄席」シリーズ 三代目 三遊亭圓歌 西行/中沢家の人々

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