ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その34) 英国王朝史② ノルマン朝
英国王朝名の覚え方
英国王朝史①(本シリーズの「その27」)で、英国歴代王朝名を一瞬にして覚えるやり方をお教えしました。
はい、そのやり方とは、次の呪文を唱えることでした。
”No Plan Like Yours To Study History Wisely”
そしてそれぞれの頭文字から王朝名を連想することでした。
1. No→ Norman
2. Plan→ Plantagenet
3. Like→ Lancaster
4. Yours→ York
5. To→ Tudor
6. Study→ Stuart
7. History→ Hanover
8. Wisely→ Windsor
今回は王朝史の端緒となるノルマン朝についてトピック的に記述します。世界史のおさらいにもなりますよ。
◎中世のイギリスを見たときに異民族支配がポイントになります。大きな流れは次の通りです。
- 元々イングランドにいた先住民族はケルト人
- 大陸からゲルマン人が侵入し、ケルト人は辺境に追いやられた(アングロサクソンによる支配)。
- 次に北欧からノルマン人がやってきた。ノルマン人によるイングランド支配は、まず国内で、ついで国外からの征服という2つの流れで起こります。
◎ところでノルマン人には、ヨーロッパ各所に侵入や移住をしていった背景がありました。(ノルは北という意味、ノルウェーを連想すれば分かりやすい。)ノルマン人の移動を大きく捉えてみましょう。
- 9世紀にはロシアへ
- 10世紀にはフランスへ(この中には、ヴァイキングを率いるロロという親分がいて、フランス王から認められて、フランス内にノルマンディー公国を打ち立てた。さて、この人物の名前、ロロを覚えておいてね)
- 11世紀にイギリスへ(これが本日の本題ですよ)
- 12世紀にイタリアへ
◎ノルマンディー公国について
- 公国とは、フランス国王に臣従しながら、一定の地域の支配権を与えられる地方政権という意味。
- ノルマンディー公は形式的にはフランス王の臣下ですが、実質的には独立した支配権を持つ地方政権でした。
- ロロの5代の後、ノルマンディー公ウィリアムが1066年にイングランド王となり、ノルマン朝を開きました。
- 1066年ノルマン・コンクェストの覚え方、はーい!66=ロロであります――笑
- これがノルマン・コンクェスト(ノルマン征服)という歴史的事実です。これゆえにノルマンディー公ウイリアムは征服王と呼ばれます。
◎ノルマン朝は、フランス国内にあったノルマンディー公国が打ち立てたというのがポイントでありまして、ノルマン朝はだいたい100年くらい続いて、次のプランタジネット朝というフランス系の王朝に引き継がれます。
ノルマンディー公ウィリアムはノルマン人ですが、フランスに生まれ、フランスで暮らし、フランス語を話した、いわばフランス人でした。
中世のイングランドは、フランスの地にも植民地を持っていたと言われたりもしますが、実態はフランスの一部族にイングランドを乗っ取られていたわけです。(あからさまにこれをいうと、イギリス人の気分を害するかもしれません。)
さて、このイングランドとフランスの切っても切れない関係は、ずっと後の百年戦争へと繋がっていくというのが歴史の大きな流れです。
次の王朝史(③)では、プランタジネット朝について記述します。
写真はノルマンディー公ウィリアムの肖像です。なんかマンガみたいですね。
(つづく)
風戸 俊城
ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。