ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その39) 友人宅での週末2日目、リチャード3世とのご対面
– 10:00 遅めのフル・イングリッシュ・ブレックファスト(晴天の場合、庭にて)
– 12:00 レスター市シティセンターへ(約90分)
– 13:30 大聖堂の外観を散策した後、リチャード3世記念館へ。
– 14:00 リチャード3世展を見学(1.5時間)
– 15:30 車で帰宅
– 17:00 晴れていれば庭でバーベキュー、晴れていなければ室内で食事
– 18:45 LTV駅のプラットホーム2まで車で移動、駐車場には19:10に到着予定
– 19:35 Avanti の列車で LTV 駅から EUS(ユーストン)駅 へ 20:45 に EUS に到着
お庭で朝食を
朝ゆっくりと起きて、先ずは、お庭のパティオでイングリッシュブレックファーストをいただきます。
この大きなマッシュルームは、特にジューシーで味わい深いものでした。これらは友人がバーベキューセットで焼いてくれました。
見渡す限り所有の土地が広がっています。庭にはさまざまな花々が植えられていて、飼っている動物は犬、猫、そしてアヒルたち。
いま建設途中の厩舎(写真の右奥の建物)が完成したら馬を2頭飼うといいます。
友人ご夫婦は英国人にとって理想とする生活を実現しています。
レスター市リチャード3世博物館
上の写真の左がレスター大聖堂(工事中でした)。右がリチャード3世記念館の入り口です。
1人の女性研究者の情熱が実りました。彼女の探究心が実を結んで、2013年にリチャード3世と推定される遺骨が完全に近い形で発掘されました。リチャーd3世が、惨殺されたと言われた1485年から、540年近い時を経て、現代に蘇った瞬間です。
さらに背骨が極度に湾曲していることが確認され、シェークスピアの戯曲「リチャード3世」で表現されたせむしのような屈曲した姿勢であったことが裏付けられました。
ただしシェークスピアの描いたように、リチャード3世の性格、行状が冷酷、無残だったかどうか、それが果たして事実だったかを確認する術はありません。(そして、往々にして敗者はことさらに悪人に仕立て上げられる――歴史は、勝者によって作られるのが常です)。
えっ、列車がキャンセル!ロンドンに戻れない?
友人宅のホームシアターで、夕方の2時間、ウインストン・チャーチルの映画を観て、さあ、そろそろおいとましようというタイミングになりました。
ロンドンに戻る列車に乗るため、家を出ようと友人が列車の時刻をチェックしてくれたところ、なんと予約した列車がキャンセルされていると言うではありませんか。
そこからの行動がすばやい。友人の機転のおかげです。
急遽バーミンガム出発に変更しました。自宅から45分かかるとのことです。
間髪入れずに彼のジャガーに飛び乗り、バーミンガム国際駅に向かいます。
なんとまぁ、スピードを出すこと、出すこと。ロケットエンジンが付いているかのごとく・・・。
「運を信ずること。誰かが必ず助けてくれる」ものです。
バーミンガム駅に到着しましたが、ロンドン行き列車の出発8分前と言われて駐車場から走ります。
足が重い。リュックが重い。息が苦しい。エスカレーターを駆け上がる。
駅係員にチケットを発行し直してもらい、プラットホームに降りました。列車が入ってきます。助かった。
友人と固い握手をして、別れを告げました。
「ほんとうにありがとう。ご親切に感謝します。また会いましょう。」
風戸 俊城
ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。