ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その39) 友人宅での週末2日目、リチャード3世とのご対面

(前回まで)7月16日土曜日、友人が計画を作ってくれた湖水地方への旅、朝5時に起きて、車で片道160マイルという強行軍。おかげで湖水のほとりを早足トレッキング、ワーズワースの生家や、ピーターラビットの産みの親であるビアトリクス・ポターの家などを訪ねることができました。友人の作ったプランは2日目へと続くのです・・・・・・
 
7月17日(日曜) 快晴
 
週末2日目、友人が作ったこの日の行動計画は次の通りです。

– 10:00 遅めのフル・イングリッシュ・ブレックファスト(晴天の場合、庭にて)
– 12:00 レスター市シティセンターへ(約90分)
– 13:30 大聖堂の外観を散策した後、リチャード3世記念館へ。
– 14:00 リチャード3世展を見学(1.5時間)
– 15:30 車で帰宅
– 17:00 晴れていれば庭でバーベキュー、晴れていなければ室内で食事
– 18:45 LTV駅のプラットホーム2まで車で移動、駐車場には19:10に到着予定
– 19:35 Avanti の列車で LTV 駅から EUS(ユーストン)駅 へ 20:45 に EUS に到着
 
きょうの目玉は、リチャード3世記念館です。これは、以前から行きたかった場所の1つで、その理由はのちほど。

お庭で朝食を

朝ゆっくりと起きて、先ずは、お庭のパティオでイングリッシュブレックファーストをいただきます。
この大きなマッシュルームは、特にジューシーで味わい深いものでした。これらは友人がバーベキューセットで焼いてくれました。

写真は友人宅の風景です。敷地は3.4エーカーという。
見渡す限り所有の土地が広がっています。庭にはさまざまな花々が植えられていて、飼っている動物は犬、猫、そしてアヒルたち。

いま建設途中の厩舎(写真の右奥の建物)が完成したら馬を2頭飼うといいます。
友人ご夫婦は英国人にとって理想とする生活を実現しています。

いざレスターへ

下の地図は、今日の行動範囲を示しています。赤い線は、左の始点が友人宅最寄り駅を示し、右の終点にレスター市を示しています。

このレスター市にめざすリチャード3世記念館があるのです。(バーミンガムの場所も確認しておいてください。その理由は後で・・・)

レスターには、友人が愛車のジャガーを運転して、連れて行ってくれました。
ちなみにレスター大学大学院には、あのプリンセス眞子様が2015年に1年ほど留学していました。(でも実際に何をされていたのか、ほとんど報道されていないので、地元の人たちはまったく知りません。もちろん友人も知りませんでした。)

レスター市リチャード3世博物館

友人宅から車で1時間半、レスター市に到着、いよいよご対面となりました。

上の写真の左がレスター大聖堂(工事中でした)。右がリチャード3世記念館の入り口です。

ご対面のお相手とはだれでしょう。そうです、リチャード3世(1452年ー1485年)です。


1人の女性研究者の情熱が実りました。彼女の探究心が実を結んで、2013年にリチャード3世と推定される遺骨が完全に近い形で発掘されました。リチャーd3世が、惨殺されたと言われた1485年から、540年近い時を経て、現代に蘇った瞬間です。

(現地紙「レスターマーキュリー」の見出しは、「リチャード3世の遺骨を発見」、記事は「発掘は終わったが、他でもない、物語は始まったばかりだ・・・」と、遺骨発見当時の興奮した様子を伝えています。)

そして、その後ミトコンドリアDNA鑑定で本人に間違いないことが確認されたのです。頭蓋骨から顔面、頭部が正確に復元されました。テクノロジーが歴史の謎と真実を解き明かしたのです。

さらに背骨が極度に湾曲していることが確認され、シェークスピアの戯曲「リチャード3世」で表現されたせむしのような屈曲した姿勢であったことが裏付けられました。

ただしシェークスピアの描いたように、リチャード3世の性格、行状が冷酷、無残だったかどうか、それが果たして事実だったかを確認する術はありません。(そして、往々にして敗者はことさらに悪人に仕立て上げられる――歴史は、勝者によって作られるのが常です)。

えっ、列車がキャンセル!ロンドンに戻れない?

予期せぬことが起こるのがボクの日常と言っても良いのです。
 
金曜日のロンドン発の列車が30分遅れたのは、可愛いもので、まだほんの序の口でした。

友人宅のホームシアターで、夕方の2時間、ウインストン・チャーチルの映画を観て、さあ、そろそろおいとましようというタイミングになりました。

ロンドンに戻る列車に乗るため、家を出ようと友人が列車の時刻をチェックしてくれたところ、なんと予約した列車がキャンセルされていると言うではありませんか。

そこからの行動がすばやい。友人の機転のおかげです。

急遽バーミンガム出発に変更しました。自宅から45分かかるとのことです。

間髪入れずに彼のジャガーに飛び乗り、バーミンガム国際駅に向かいます。

なんとまぁ、スピードを出すこと、出すこと。ロケットエンジンが付いているかのごとく・・・。

こういうときは、

「運を信ずること。誰かが必ず助けてくれる」ものです。

バーミンガム駅に到着しましたが、ロンドン行き列車の出発8分前と言われて駐車場から走ります。

足が重い。リュックが重い。息が苦しい。エスカレーターを駆け上がる。

駅係員にチケットを発行し直してもらい、プラットホームに降りました。列車が入ってきます。助かった。

友人と固い握手をして、別れを告げました。

「ほんとうにありがとう。ご親切に感謝します。また会いましょう。」

(つづく)

 

風戸 俊城

ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。

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