へっぽこ野球部1
私は小学生の時から野球チームに入っていたので、中学校でも当然ながら野球部に入部したのだが、この野球部がとにかく弱小だった。はっきり言ってへっぽこだった。ただ先に言っておきたいのは、私は特別に野球がうまいわけでもなく「全国制覇‼︎」などという大志は持っていなかったので、私にとってはぴったりの野球部だった。
練習は平日放課後の週2回。土日は練習試合が組めたらあるのだが、そんなのは1年に1回ぐらいのもので、基本的にゆるい部活だった。また、平日練習では校庭を野球部、サッカー部、テニス部が同時に使うので、使用できる広さに限りがあり、我々は内野練習ばかりするしかないのだが、そうすると試合になると困ることが出てくる。そう、多くの選手が外野の守備位置がわからないのだ。
ある練習試合ではライトの守備につくはずの選手がなぜかセカンドのすぐ隣に立っていた。当然ベンチから
「〇〇!もっと後ろ!!」と声が飛ぶ。
するとその選手は5歩ほど下がって「ここ?」と聞き返す。
「うーん…あともう10歩!!」
このやりとりが何回か繰り返されるのだ。とにかく外野の守備につくのに時間がかかる。
もちろん外野に打球が飛んでしまえば捕球できる確率はかなり低い。飛んできたボールを捕球しようとした外野手がどういうわけかそのボールを足で遠くに蹴っ飛ばしてしまい、その隙に打者がそのままランニングホームランしてしまった試合もあった。
こうやって我が野球部のへっぽこぶりを思い出してみると今でもおかしくて笑ってしまう。
あぁ、楽しかったなぁ。
そんな野球部での思い出を少しずつ分けて紹介していこうと思います。
まーぼー
こう見えて実は私も中学に上がると野球部に入部しました。当時はみなプロ野球の英雄、長嶋茂雄にあこがれました。甲子園出場経験のある古豪、新宮高校からプロへ進むのが夢だったのです。
ところが半年後の身体検査で急性腎臓病を発症して即退部せざるを得ませんでした。しかも同級1年生合計9人で。練習がいかに厳しかったかの証拠です。青春の夢がたった半年で儚く消えました。
因みに、郷里からは、元阪神・前岡勤也(旧姓井崎)、元巨人/ロッテ・庄司智久、元近鉄・山崎慎太郎、元阪神/A・アスレチックス/SFジャイアンツ/東北楽天・藪恵壹などがプロ入りしています。
ヤタガラスさん
いつもコメントありがとうございます。
野球少年であれば一度はプロ野球選手への憧れを抱くのはよくわかります。
同郷の方がプロになっている姿を見ると嬉しいですね。所属チーム関係なく応援したくなります。