幼き者の世界2〜バイバイの距離〜
私が神奈川に引っ越してくる前の幼少期、大阪に住んでいた時の親友が「たーくん」だった。「たかし」だから「たーくん」。
たーくんは運動神経が良く、一緒に通っていたスイミングスクールでは、水に顔をつけるのを怖がる私とは反対に、彼は水の中でも目を開けることが平気で私をおいてどんどん泳ぎが上手になっていった。
そして妹がいたからだろうか、面倒見がよく優しくてしっかり者。当時の私にとって、たーくんは親友でもありかっこいい存在だった。
二人並んで線路沿いの小道に座り、右から左からやってくる電車を眺めては次の電車の色を当てっこして遊んだ日々が懐かしい。
夕方、家に帰る時はいつもお互いの姿が見えなくなるまで、いや見えなくなっても声が聞こえるかぎり「バイバ〜〜〜イっ!!」「バイバ〜〜〜〜〜〜イっ!!!」と大声で言い合いながら帰った。決して別れが惜しいわけではない。だって明日また遊ぶから。あの頃の私たちはバイバイをお互いに言い続けることが楽しかっただけなのだ。
もしも私がずっと大阪に住んでいたなら2人はどんな関係になっていったのだろうか…時々そんなことを想うのだが、私には彼との思い出の中で、未だに悔やんでいることが一つある。それは私が大阪から引っ越した日のことだ。
その日、私は新幹線に乗れるという喜びで朝からウキウキしていた。当時の私にとって新幹線というのは、祖父母に会いに行く時にだけ乗ることができる『特別』な乗り物だったのだ。そんな私を見送るために、たーくんはお母さんと妹と一緒に新幹線の新大阪駅のホームまで来てくれていた。
新大阪駅のホームで私は彼と何を話したのだろう。覚えているのは彼からロボットのおもちゃを手渡されたこと。
「これから新幹線に乗れるし、おもちゃも貰っちゃった!なんて良い日だろう!!」私は幸せで一杯だった。
東京行きの新幹線がホームに滑り込んできた。
「バイバイ!」「うん、バイバイ!」
私たちはいつもより小さな声で1回だけ言い合った。そして私は意気揚々と新幹線に乗り込んだ。新幹線のドアが閉まる。
「あれ!?なんでたーくん泣いてるん?」
窓から見えた彼の顔はグシャグシャだった。
そうだ、私はわかっていなかったのだ。どうして私はおもちゃを貰ったのか。どうして彼は泣いていたのか。
私はこの「バイバイ」の意味をわかっていなかった。
引っ越してからも手紙のやり取りはしばらく続いていたのだが、お互い成長するにつれて段々とその回数は少なくなり、そしていつの間にか途絶えてしまった。気がつけば大人になり、再びたーくんに会うのがそれから25年後になるなんて、あの日の私にはわからなかったのだ。
まーぼー
こころ温まるいいお話を ありがとうございました。
聞こえなくなるまで バイバイを繰り返すなんて。
私にも似た思い出があります。胸がきゅんとなりました。
25年後に再会したとき、まーぼーさんはたーくんに、あの時のバイバイの意味が分からなくてゴメンと謝られたのでしょうか?
再会できて、ほんとうによかったですね。
まっちさん
コメントありがとうございます。
25年ぶりの再会の時、見送りに来てくれた時の話になりました。彼は見送りに来てくれたことは覚えていましたが、おもちゃをくれたことや泣いていたことは「そうだったかなぁ」とあまり覚えていない様子でしたね。
また機会があれば再会の話も投稿したいと思います。
まーぼー