No , Radio . No , Life .

私は中学生の頃からラジオが好きだ。
私が思うラジオの良いところは「視覚的情報がない」という点ではないかと思う。

例えば「大きな扉」といった場合、現物を見てしまえばそれだけが正解となる。しかし、聞いただけなら色んな「大きな扉」を想像して良いのだ。3mの高さの扉?いやいや、もっともっと雲よりもずっと高くまである扉を想像したって良い。

想像の世界はどこまでだって広げられる。

同じように「声」からも色んな想像を広げられて面白い。ラジオから聴こえるラジオパーソナリティの声。この人はどんな人なんだろう?
ハキハキ喋るから短髪に違いない。
優しそうな声、笑顔の素敵な人じゃないかな。

今も私はあるラジオパーソナリティの声がとても好きだ。その人の声、そしてエピソードを元に勝手にその人のイメージを膨らませて楽しんでいる。

そんなラジオ好きの私だがラジオ番組のホームページを見ることは絶対にしないし、その人についてネット検索もしないと心に決めている。正直に言えば、どんな人なのか見てみたいという気持ちがあるにはある。

パソコンを開く
→インターネットで番組のホームページを開く
→ご本人登場!!

その気になれば1分以内に正解発表は可能なのだ。
しかし、それだけはやらない。いや、できない。

なぜなら、万が一、本人を見てしまった時、私の想像していた人と違ったら…いや、確実に違うはずだから私はきっと勝手にがっかりするだろう。もちろん、そのラジオパーソナリティには何の責任もない。
しかし、どう表現していいかわからないのだが、私の中でその人が突然いなくなってしまうような気がしてしまうのだ。

No , Radio. No , Life.

そんな複雑な思いを抱えながら今日も私はラジオを聴く。

 

まーぼー

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