● 地面の蓋 24  草津(滋賀県:草津市)

今回の蓋は草津です

草津というと草津温泉で有名な群馬県草津町を

思い浮かべる方が多数と思われますが、

紹介するのは滋賀県の草津です

間違える方も多いようで、ポスターがありました

 

南草津駅から草津駅へ向かって旧東海道を

歩いてみます

 

南草津駅前に短歌が書かれたモニュメントがありました

「さを鹿の しがらむ萩の 秋見へて

月も色ある 野路の玉川」

景勝地としての「玉川」が全国に6か所あり、

旧東海道沿いの「野路の玉川」もその一つで、萩の名所だそうです

現在は住宅地となりましたが、小さな公園が整備されているようです

金色の玉のモニュメントも月と川を表現しているのでしょうか

アオバナが描かれた蓋がたくさんあります

「草津市の花」ということです

「青花紙(あおばながみ)」の原料に使用するため江戸時代から草津市で育てられて来た

貴重な花だそうです

「青花紙」とは、あおばなの花弁から絞った汁を和紙に何度も塗り乾かし、

色素を定着させたものとのこと

あおばなの色素は水に溶けやすい性質を持っており、その性質を活かして友禅染や絞染の

下絵描きの絵の具として使用されてきたそうです

神社がありました 立木神社と書かれていて狛鹿がいます

この神社は1200年以上の歴史を誇る神社だそうで、征夷大将軍の坂上田村麿が

東北鎮圧に際して祈願したことから、厄除開運・交通安全の神社として

信仰を集めてきたそうです

東海道に面していることから、江戸時代に大名や旅人も道中安全を祈願したと

いわれています

最初の短歌にもあるように、この辺りは鹿の名前がつく地名等、

鹿に関わるものが多いようです

昔からたくさん鹿が住んでいたのでしょう

今は増えすぎて農作物被害等の影響が大きく、嫌われ者になっているようです

 

「東海道と中山道」と書かれた蓋が現れました

街並みも宿場町の雰囲気となってきました

草津宿は江戸時代、東海道と中山道が分岐・合流する宿場として栄えたそうです

東海道と中仙道との分岐点があります

「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と刻まれた道標が建っています

ここは草津宿のほぼ中心部で、この付近は追分といわれ高札場もあり、

旅人にとっては大切な場所だったようです

草津駅に近づくと「公下」と書かれた蓋が?

何かなと思っていると「公共下水」でした

また、「草津用水」と書かれた蓋も

この蓋は南草津の駅前にもありました

この辺りは古くから用水源に乏しく、かつては多くのため池など小さな水源から

農業用水を得ていたため、しばしば干ばつに見舞われ、生産性も低い状況だったそうです

このため、目の前の琵琶湖を水源とする逆水計画がしばしば立案されていましたが、

なかなか実現されず、昭和29年の草津市の誕生が契機となって、

ようやく昭和33年に県営草津用水土地改良事業が着手され草津用水が誕生し、

いまでは重要な水源となっているそうです

草津駅はJRの駅別乗降客数の県内1位の駅とのこと 因みに2位は南草津駅

新快速で京都駅 – 草津駅間は21分ということでベットタウンとしても発展しています

琵琶湖が近く、水生植物公園やアウトドアを満喫できる箇所もたくさんあるようです

お近くへ行った際は途中下車してみてください

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