笑説ハイムのひろば55〜再挑戦!クマノザクラをハイムに
みなさんはクマノザクラをご存だろうか?まだまだご存じない方も多いと思われるので、少しだけおさらいしておこう。基本的な情報はこちら(Wikipedia)でどうぞ。2018年3月、日本のサクラ属の基本野生種として「クマノザクラ」の発見が伝えられた。この発見は、1915年の「オオシマザクラ」の発見・命名以来約100年ぶりのことで関係者の間では大きな話題を呼んだ。
ニュースで聞いたとき、日本の代表的な花である桜の話題が出身地である熊野と繋がっていることに、西野は少なからず興奮と喜びを感じた。そして、同じマンションの住民であり同じ熊野出身の江上和夫から「クマノザクラをハイムに植えられないかな?」との提案を受けた時、一も二もなく賛成したのだった。
一昨年、江上和夫が自らの車でクマノザクラの苗を持ち込み、緑の環境委員会の協力を得てハイムの敷地内に植えてもらった。無事に育てば2、3年後には花を見ることができるかと期待したが、結局は枯れてしまい実現できずに終わった。土壌の問題なのか日当たりの問題なのか原因不明ながら、自然には逆らえず断念せざるを得なかった。
やはり無理かと半ば諦めていた西野とは違い、江上は諦めていなかった。定期的に熊野への帰省を繰り返していた江上のその思いは実家に帰るたびに強くなっていった。約1年前、もう一度挑戦しようと西野に呼びかけたのだ。この時、熊野は第一の故郷、ハイムは第二の故郷との思いがきっと江上にもあるに違いないと西野は思った。
その後、再挑戦を心に決めた二人に助っ人が一人加わった。和歌山出身の鏡孝一郎だ。二人が三人になることで資金負担が軽くなることもあるが、江上と西野にとって、それよりも鏡の気持ちが嬉しくありがたいと思った。実は、「熊野は第一の故郷、ハイムは第二の故郷」という言葉を最初に言ったのが鏡だった。仲間が増えたこともあり何とか成功させたいという気持ちが日に日に強くなっていったが、2022年は大規模修繕工事があったためこの話は先送りとなっていた。
江上は前回の失敗を踏まえて挽回策を考えていた。今度は、購入した苗木を一定期間熊野市の自宅で育てた後にハイムに持ち込もうという作戦だ。既に熊野からハイムまで持ち込んでいたが、修繕工事中であった昨年は植樹もできなかったため、自宅の専用庭でさらに1年育てることになった。3人には、このことが結果的に功を奏することになるのではという密かな思い(願い)もある。
年内で工事もほぼ終了しており、完全終了となれば、2023年春には植樹できるであろうと判断し、再度計画をすすめることにした。2月中旬、プロジェクトメンバーである3名は、緑の環境委員会委員長である宮下直近に再度相談を持ち掛け、捲土重来、今度はぜひ成功させたいと協力をお願いした。宮下は、この件を既に委員会に諮り了解を得ており、後は実施の時期をいつにするかだけとなっていた。
ほぼ1年間の大規模修繕工事の関係で、本来は昨年中に実施すべき保護・修復作業が出来なくなっていたこともあり、委員会はその作業を優先させる必要があった。その作業に影響の出ない時期となるとおそらくは4月上旬になろうというのが宮下からの返事だった。できれば3月にと希望を抱いていた3人だったが、ここは、はやる気持ちを抑えてじっくり待つしかない。
花を咲かせてもらうのが目的ではあるけれど、そのためにはまず根付いてもらわないといけない。まだ細い苗木を見て思うのは、まるで子供か孫を見るような感じだ。一旦、値付きさえすればその後は何年も綺麗な花が楽しめるのだ。3人はそう遠くない時期にここハイムでクマノザクラの開花を見ることを想像してみた。
そこには、全身の枝にまぶしいばかりの桜の花をつけたクマノザクラが立っている。まるで、「ハイムは我々の第二の故郷だ!」と宣言しているように・・・
蓬城 新
最初の挑戦のとき、1Aのエントランス脇でだんだん元気がなくなるクマノザクラを寂しい気持ちで眺めていました。
それにめげずに、こんなに素晴らしいプロジェクトが進行していたのですね!!
今度こそ思いがかなって花開く日を楽しみに応援しています。
CRさん、応援コメントありがとうございます。
今度は何とか根付いてほしいと願うばかりです。