カンヒザクラ(寒緋桜)はバラ科サクラ属の野生種のサクラ。旧暦の正月あたりに咲くことからガンジツザクラ(元日桜)と呼ばれることもある。別名ヒカンザクラ(緋寒桜)、タイワンザクラ(台湾桜)、ヒザクラ(緋桜)とも言う。なお語呂が似たヒガンザクラ(彼岸桜)はエドヒガンの通称であり別種である。

 

特徴
樹高は亜高木で樹形は広卵状。日本の本州では樹高4mほどの亜高木にしか育たないが、台湾では10mを超える高木に成長することもある。 花は中輪の一重咲きで、釣り鐘状の下向きに閉じたような半開きの形で咲き、濃い紫紅色の花弁を付けるのが最大の特徴である。学名の種小名 campanulata は「カンパニュラの様な」と言う意味で、キキョウ科ホタルブクロ属(Campanula、カンパニュラ)の花が下向きに咲く所になぞられて名付けられており、中国語でも「鐘花櫻花」と呼ばれる。おおよそ1月から3月にかけてが開花期となり、東京での花期は3月中旬。ただし沖縄と台湾の一部の変異した個体では花弁が大きく開き、色が薄い淡紅色になって、鹿児島以北のヤマザクラに近い形態のものもある。現在のところはこれらは個体差に留まり変種として認められるほどではない。多くの桜とは異なり花弁は散らず、萼のついた状態で落花する。

 

分布
台湾と中国南部に分布する。台湾では主に「山櫻花」と呼ばれ、海抜500-2200mの山地に自生するが、この語は中国大陸部では主にCerasus serrulataを指す。

 

日本では沖縄県の石垣島に国の天然記念物に指定された「荒川の寒緋桜自生地」が存在し、カンヒザクラも日本の基本野生種11種のうちの1種とされる場合があるが、これには一部に疑義がある。理由として、台湾により近い石垣島の西方の西表島などに自生地はなく、石垣島の自生地とされる場所も標高200mほどの自然度が低い二次林が多く、個体数が数百個体と少ないことが上げられている。そのためカンヒザクラが台湾から人為的に持ち込まれた後に野生化した可能性が指摘されているが、結論には至っていない。

 

利用
日本の代表的なサクラとして知られている野生種のヤマザクラや栽培品種のソメイヨシノの分布域の南限が鹿児島県であるため、沖縄県でサクラや花見と言えばこのカンヒザクラを指す。そのため、沖縄県や鹿児島県奄美地方でのサクラの開花予想及び開花宣言の標本木には、全国的に使用されるソメイヨシノではなくカンヒザクラが用いられている(北海道の標本木はオオヤマザクラ)。

 

花見などの鑑賞用に利用されるほか、台湾では紅色で卵形の果実(サクランボ)を「山櫻桃」と呼び、砂糖、塩、甘草などを加えて煮つめて、保存食や土産品としたり、ジャムにしたりする。花びらも塩漬けにして、スープや菓子の彩りに使われる。沖縄県でも泡盛に漬けて果実酒とするなどの利用例がある。

【出典:Wikipedia:写真はハイム3号棟前の寒緋桜(宮川氏提供)】

カワヅザクラ(河津桜)は、日本固有種のオオシマザクラ とカンヒザクラの自然交雑から生まれた日本原産の栽培品種のサクラ。

 

由来
1955年に静岡県賀茂郡河津町田中の飯田勝美が河津川沿いの雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し、庭先に植えたことが由来である。1966年から開花し、当初、発見者の飯田家の屋号から「小峰桜」と地元で言われてきたが、その後の学術調査で今までに無かった雑種起源の栽培品種であると判明し、1974年に「カワヅザクラ(河津桜)」と命名され、1975年に河津町の木に指定された。現在も原木はこの地に存在し、2007年現在で樹齢50〜60年である。

 

また、1968年頃からこのサクラが増殖されるようになった。町の木指定に伴い、町民有志らによる植栽が河津川河口などから町内全域に広がったが、樹勢劣化や病虫害による病斑や、植栽間隔が短く枝が接触することによる生育障害も見つかるようになった。また、堤防の樹木は根元から水が入り、土壌が緩んで決壊しやすくなり、流木による堤防の損壊や水位上昇につながる恐れもあることから、1998年施行の改正河川法により河川区域での植樹は禁止された。

 

特徴
樹高は亜高木、樹形は傘状。一重咲きで4cmから5cmの大輪の花を咲かせ、花弁の色は紫紅。オオシマザクラとカンヒザクラの雑種にさらにカンヒザクラが交雑した種であり、オオシマザクラ由来の大輪の花と、カンヒザクラ由来の紫紅の花弁の色と早咲きが大きな特徴である。

 

東京の花期は通常は2月から3月上旬で稀に早い年には12月に開花することもある。原木のある静岡県河津町での花期は2月頃で花期が1ヶ月と長い。野生では花粉の媒介者となる虫の活動が始まる春よりも大幅に早く咲くと子孫を残せないため、本州の野生種のサクラには寒い時期に咲かない仕組みがあるのだが、カワヅザクラは本来は本州に自生しないカンヒザクラが交雑することによって花期が早まったと考えられている。

 

極端な早咲きは野生では淘汰される不利な特質だが、カワヅザクラのような栽培品種ではその珍しい特質と花の特徴がむしろ好まれて接ぎ木などで増殖されている。

(出典:Wikipedia)

ヨウコウ (陽光)は日本原産の交雑種のサクラで、愛媛県に在住していた高岡正明がアマギヨシノ(天城吉野)とカンヒザクラ(寒緋桜)を交雑させて作出した栽培品種である。別名「陽光桜」。1981年に種苗法により登録。

 

由来と特徴
高岡正明は第2次世界大戦中に学校教員であったが、戦後、戦死した生徒たちの冥福を祈って各地に桜を贈ることを思い立ち、環境適応能力が強いサクラを作出すべく、25年の試行錯誤の後に、寒さに強い日本のソメイヨシノに由来を持つアマギヨシノと台湾もしくは日本の暑さに強いカンヒザクラを交雑させて誕生させた。樹形は広卵状で、ソメイヨシノより早く咲き、花は一重で大輪、鮮やかなピンク色となるのが特徴。てんぐ巣病や病害虫に強い樹勢強健な種とされる。

オオシマザクラ(大島桜、学名:Cerasus speciosa (Koidz.) H.Ohba, 1992、シノニム : Prunus speciosa (Koidz.) Nakai, 1915) )はバラ科サクラ属のサクラ。日本の固有種で、日本に自生する10もしくは11種あるサクラ属の基本野生種の一つ[3][4][注釈 1]。成長が速く再生力が強く古来雑木林に植えられて燃料として多用されたことからタキギザクラ(薪桜)の別名があるほか、葉が桜餅の葉に使われるためモチザクラ(餅桜)とも呼ばれる。

 

特徴
樹高は20mを超える落葉高木、樹形は傘上。一重咲きの大輪の花を比較的多く咲かせ花弁の色は白色。白い花と緑色の葉が同時に展開する。東京の花期は4月上旬。葉は長さ5cm~10cm程度で、先端が尖った倒卵形または楕円形で互生、細かい鋸歯を持つ。花と葉は比較的強い芳香を持つ。突然変異しやすく八重咲きになったものもあり、増えた花弁で雄蕊と中間的な形質を持つものを「旗弁(きべん)」という。緑色の葉と相まってこの白い花びらが目立つことから旗弁を持つオオシマザクラは「旗桜」「白旗桜」とも呼ばれる。源氏の旗印も白旗であり、オオシマザクラの元の分布域が関東であることから、オオシマザクラと東国武士には強い関係性があるとも言われている。

 

利用
花見と栽培品種の親として
日本は鑑賞(花見)目的で、世界各国に比べて歴史的に圧倒的に多くのサクラの栽培品種を生み出してきた。オオシマザクラは八重咲きなどに突然変異しやすく、成長が速く、花を大量に付け、大輪で、芳香なため、その見栄えのする特徴を好まれて花見の対象となってきた。またこれらの特徴から、優良個体や突然変異個体の選抜・育種・増殖の繰り返しの結果として多くの栽培品種の母種となってきた。

 

オオシマザクラを母とするこれらの栽培品種はサトザクラ群と呼ばれている。サトザクラ群にはカンザンのように濃い紅色の花弁を持つ品種もあるが、これは意外にも花弁が白色のオオシマザクラの特質を継承していると考えられている。一般的なオオシマザクラの花弁は白いが、色素のアントシアニンの影響で稀に花弁がわずかに紅色に染まる個体があり、散り際の低温刺激でも紅色が濃くなることがある。通常の野生状態ではこのように紅色の発露が制御されているが、選抜育種の最中に突然変異が起こって紅色の個体が生まれ、ここからカンザンなどの紅色系のサトザクラが誕生したと考えられている。

 

なおソメイヨシノもオオシマザクラが親であるが父であるためサトザクラ群には含めない。鎌倉時代に関東南部に人の往来が多くなると、現地のオオシマザクラが栽培され京都に持ち込まれるようになったと考えられている。そして室町時代にはオオシマザクラに由来するフゲンゾウやミクルマガエシが誕生し、江戸時代にはカンザンなどの多品種のサトザクラ群が生まれて、現在まで多くの品種が受け継がれている。

2018年3月、森林総合研究所から「クマノザクラ」の発見が発表された。日本のサクラ属の基本野生種としては1915年(大正4年)に「オオシマザクラ」が発見・命名されて以来約100年ぶりの発見であった。小さいころから山林に入って見かける桜はヤマザクラとしか認識していなかったので、改めて新種の桜と言われると何だか不思議な気がする。

 

従来から熊野(紀伊半島南部)にはこの地域に自生するヤマザクラやカスミザクラに似た早咲きのサクラが自生する事が確認されていたが、地元住民は「早咲きのヤマザクラ」と認識しており、独立した種として区別されていなかった。2014年(平成26年)に紀伊半島のサクラの標本から既存の種とは異なると考えられる種の標本が見つかった。

 

そこで2016年(平成28年)から2017年(平成29年)にかけて森林総合研究所と和歌山県林業試験場が共同で現地調査を行い研究した結果、この既存の種とは異なると考えられる種(「早咲きのヤマザクラ」)が既存の種の突然変異ではなく新種であると判明した。

 

森林総合研究所はこの新種のサクラをクマノザクラと命名した。そして、この研究論文が日本植物分類学会発行の『Acta Phytotaxonomica et Geobotanica誌 69巻2号』(2018年6月下旬発行)に掲載受理されたことで、学名「Cerasus kumanoensis」(セラサス クマノエンシス)、英名「Kumano cherry」と命名された。

 

特徴
クマノザクラの特徴は、ヤマザクラに比べて樹高が低くて枝が細く、樹形は箒上、若木の頃から比較的美しい花をつけ、花弁のピンク色が鮮やかで、ヤマザクラとカスミザクラより花序柄が短く無毛、葉身が小さく卵形。また早咲きが特徴で、和歌山県東牟婁郡古座川町を例にとると、ヤマザクラが4月中旬から下旬、カスミザクラが4月下旬に開花するのに対して、クマノザクラは3月中旬から4月上旬に開花し、これら2種と開花期が重ならない。

 

三重県熊野市、奈良県十津川村、和歌山県田辺市本宮町などの熊野川流域を中心としたおよそ南北90km、東西60kmの範囲に野生に自生する多数の個体がある。森林総合研究所と和歌山県林業試験場はクマノザクラが高い観賞価値を有すると判断し、クマノザクラの種苗普及を計画している。今後、共同で優良個体を選抜した上で増殖方法を確立し、病害への抵抗性の検定を行うことで、高品質なクマノザクラの普及を目指すとしている。

(参照:Wikipedia)

啓翁桜は、昭和5年、久留米市山本の良永啓太郎という人が中国系のミザクラを台木にし、 ヒガンザクラの枝変わりとして誕生させました。名付け親は同じく久留米市の弥永太郎さんで、啓太郎の 一字をとって啓翁桜と名付けました。いきおいよく成長する啓翁桜は、枝の伸びがよく、枝を切り込ん でも弱らず切枝用に適しています。花の形や咲く時期などはヒガンザクラに似ています。

 

啓翁桜はつぼみの花が開くと、うす紅色をしたボリューム感のある花が奇麗に咲きそろって、春の明るい華やかさを演出してくれます。特に、枝がスプレー状になるので、現代的なフラワーアレンジに、とても適しています。

 

啓翁桜は置賜でも、気象条件を活かして、白鷹・川西・高畠地区などで生産されています。1m位の長さに切った枝を束にして温室で加温して、つぼみを膨らませ、花が開く直前の12月下旬から出荷されます。

 

冬に花を咲かせるこの啓翁桜、出荷量日本一を誇るのは山形県です。しなやかな細い枝にたくさんの花が咲きそろう姿がとても華やかで、お正月の飾りや結婚式、卒業式などのハレの日を演出する花として注目を集めています。

 

また、近年では、フラワーアレンジメントや贈り物としての需要も高まっています。山形の気候と長年の研究により培われた確かな技術により促成栽培された啓翁桜は、12月中旬から3月まで、春を彩る鑑賞用の切り枝として全国各地に出荷されます。

ハチスカザクラ(蜂須賀桜)は、カンザクラ系のサクラの栽培品種。沖縄系のカンヒザクラとヤマザクラの一代自然交配雑種のカンザクラで、江戸時代まで徳島城御殿にあった。一部にはヤマトザクラと彼岸桜との交配種との誤記も見られる。蜂須賀の名称は、当時徳島藩を治めていた蜂須賀氏に由来する。廃藩置県に伴い最後の徳島藩主となった蜂須賀茂韶が、重臣で原田家(国の登録有形文化財)当主の原田一平に託したとされている。

 

歴代藩主が「お留め石」に留まって鑑賞したことから「お留め桜」と呼ばれており、転じて花の可憐さから「乙女桜」とも。以後250年に亘って原田邸で育てられ、毎年3月に保存会によって一般公開されている。

 

サクラの代表とされるソメイヨシノに比べ、開花時期が非常に早いことが特徴で、2月下旬からおよそ1か月ほど淡い紅色の花を咲かせる。色はソメイヨシノより若干濃く、花びらの先に紅のサシが入るのが特徴である。花弁は5枚。

 

また、1999年に徳島市内の育苗家が苗の育成に成功して以来、徳島県内に限らず、東京都・大阪府・長野県など日本国内および海外で栽培されている。徳島県内では原田家の母樹(徳島市)のほか、眉山などでも植樹されており、各地でその姿を見ることができる。

参考サイト:蜂須賀桜と武家屋敷の会 https://hachisukasakura.com/

(出典:Wikipedia、ほか)

フサザクラ属 (Euptelea) 1属からなる落葉高木で、日本(本州から九州)に自生するフサザクラ(房桜、Euptelea polyandra)と、中国南部からアッサムに自生するEuptelea pleiosperma の、2種(および両者の人工的雑種)からなる。

 

特徴
花は両性で、花被はなく、多数の雌蕊と雄蕊からなる。フサザクラは3-4月頃、葉が出る前に開花し、紅色の雄蕊のやくが房状に垂れ下がって美しい。雌蕊はゴルフのクラブ状で雄蕊より短い。果実は偏平で周囲が翼状になり、風で飛ぶ。 葉の形は先端のとがった円形で不揃いな鋸歯があり、葉柄は長く互生する。

 

稚樹の耐陰性が弱い陽樹であり、他の樹木と競合の少ない急傾斜地に適応した特徴を持つ[2]。その一つとして、主幹が土砂の移動などによって倒れても根が残りやすく、根元に生えている多くの萌芽枝に栄養を振り替えることで、萌芽枝が次代の主幹となって成長する萌芽再生の能力がある。また、重力によって主幹が水平方向に寝てしまうと、垂直方向に生えていた枝が主幹のように太くなり、垂直方向への成長を維持する。主幹の交代が終わると、それまで主幹だった幹は枯れて腐り落ちる。

シダレザクラ(枝垂桜)は、バラ科サクラ属の植物の一種で、広義では枝がやわらかく枝垂れるサクラの総称で、狭義では特定のエドヒガン系統の枝垂れ性の栽培品種。

 

広義のシダレザクラ
シダレザクラは広義では枝がやわらかく枝垂れるサクラの総称。野生種のエドヒガンから生まれた栽培品種のシダレザクラ(#狭義のシダレザクラ)やベニシダレやヤエベニシダレが有名である。他には野生種のオオヤマザクラの下位分類の品種のシダレオオヤマザクラ、野生種のカスミザクラの下位分類の品種のキリフリザクラがあるほか、野生種のヤマザクラから生まれた栽培品種、もしくはオオシマザクラ由来の栽培品種のサトザクラといわれるシダレヤマザクラ(センダイシダレ)などがある。

 

枝が枝垂れるのはイチョウやカツラやクリやケヤキなどでも見られるが、その原因は突然変異により植物ホルモンのジベレリンが不足して枝の上側の組織が硬く形成できず、枝の張りが重力に耐えられなくなっているからと考えられている。枝垂れ性は遺伝的に劣性のため、シダレザクラの子であっても枝垂れない個体が生まれる場合がある。

 

狭義のシダレザクラ
樹高は8m以上に育つ高木、花は一重咲きの小輪で淡紅色、東京基準の花期は3月中旬である。枝垂れる以外の特徴はエドヒガンと同じで個体により変異がある[6]。既に平安時代には「しだり櫻」や「糸櫻」などが存在したことが当時の文献に記録されており、これは狭義のシダレザクラの祖先であったと推定される。

 

また、今日まで純粋に野生のエドヒガンで枝垂れているものが発見されておらず突然変異が極めて珍しい物であったこと、日本各地にシダレザクラの古木が存在することから、シダレザクラが栽培化され増殖され全国に広まったと考えられている。

ヤマザクラ(山桜、学名:Cerasus jamasakura (Sieb. ex Koidz.) H.Ohba)はバラ科サクラ属の落葉高木のサクラ。日本の固有種で、日本に自生する10もしくは11種あるサクラ属の基本野生種の一つ[7][8][注釈 1]。便宜的に山地に生息する野生のサクラを総称してヤマザクラ(山桜)ということもあり、品種としてのヤマザクラとの混同に注意が必要である。

 

概説
樹高は20mを超える高木で樹形は傘形。花は中輪で花弁は5枚の一重咲きで色は淡紅色。東京を基準とした花期は4月中旬。成木の成葉の裏面が帯白色になる。多くの場合葉芽と花が同時に展開するので、花が先に咲くソメイヨシノと区別する大きな特徴となる。またソメイヨシノと同じく大きくなるが、より成長に時間がかかり、花の数も少ない[9][10][11]。エドヒガンに次いで長命であるが、その分、発芽してから花が咲くまでに時間がかかり、早くて5年、長くて10年以上、寒冷地ではさらに遅くなることもある。

 

ヤマザクラは野生種で数も多いため、同一地域の個体群内でも個体変異が多く、開花時期、花つき、葉と花の開く時期、花の色の濃淡と新芽の色、樹の形など様々な変異がある。新芽から展開しかけの若い葉の色は特に変異が大きく、赤紫色や褐色の他にもツクシヤマザクラでは黄緑色、緑色もあり、先端の色が濃いものなどもある。樹皮は暗褐色または暗灰色。

 

変種のヤマザクラとツクシヤマザクラの違い
分類学上の種としてはヤマザクラだが、その下位分類の変種レベルでは、ヤマザクラとツクシヤマザクラに分類される。ツクシヤマザクラはツクシザクラ(筑紫桜)とも呼ばれ、ヤマザクラの分布域のうち薩南諸島と九州西部に限定して分布しており、花が大きく若芽が緑や黄褐色で、若芽が赤いヤマザクラと区別ができ、見た目的にはヤマザクラとオオシマザクラの中間的な形態である。

 

江戸時代以前の日本におけるサクラの代表種
その分布域から古来日本人に最もなじみが深かったサクラであり、江戸時代後期にソメイヨシノが開発されて明治時代以降に主流になるまでは、花見の対象と言えば主にヤマザクラであった。そのため和歌にも数多く詠まれており、「吉野の桜」とは本来このヤマザクラを指していた。野生種のため個体間の変異が比較的大きく、同一地域にあっても個体ごとに開花期が前後する。このため当時の花見は、栽培品種のクローンで同一地域では一斉に咲く現代のソメイヨシノを対象とした現代の花見とは趣が違っていた。身近にあった事から用材としてもよく使われた。木材は家具の材料としても人気が高い。樹皮は樺細工などに利用される。

 

分布地域と地域内の生息域
日本の固有種で東日本を含んだ広範囲に自生するが西日本の暖温帯を中心に分布する。北限は太平洋側では宮城県、日本海側では新潟県。南限は鹿児島県のトカラ列島。オオシマザクラと同じく暖温帯に分布するため本来は常緑広葉樹林が生息域だが、むしろ人間の生活圏の拡大と共に森が伐採されて陽当たりが良くなった二次林の落葉広葉樹林の方に多く進出して生息してきた。しかし1960年代以降は林業の衰退により二次林が放置されて暗くなっている場所が多く、ヤマザクラの生息域が減少している。

中国や朝鮮半島(韓国)の一部地域にも分布しているという説もあるが、カスミザクラやオオヤマザクラの誤認の可能性が高いという。

オオヤマザクラ(大山桜、学名:Cerasus sargentii (Rehder) H.Ohba)はバラ科サクラ属の落葉高木のサクラ。日本に自生する10もしくは11種あるサクラ属の基本野生種の一つ。名前の由来はヤマザクラに比べ花が大きいことによる。花色の特徴からベニヤマザクラ(紅山桜)、北海道に多く生育していることからエゾヤマザクラ(蝦夷山桜)の別名がある。アイヌ語名は「カリンパニ」。英語圏での呼び名の「Sargent's cherry」と学名の由来はアメリカの植物学者チャールズ・スプレイグ・サージェントに因む。なお関東以北では販売用の「山桜」表記の苗木には、ヤマザクラではなく本種が使われていることがある。

 

分布域からもわかる通り比較的寒さに強い。樹高は20mを超える高木、樹形は広卵状。一重咲きで直径3-4.5cmの中輪から大輪の花を咲かせ、花弁の色はヤマザクラやソメイヨシノに比べて比較的濃い紅色。東京の花期は4月中旬。花序は散型上で花柄がほとんどなく、芽の鱗片が著しく粘る。葉が花と同時に展開する。葉は長めの卵型、縁は鋸状、大きさは8cmから15cm程度、成木では裏面が白色を帯び互生している。若いものは赤い色をしているが夏には暗い緑色に変化する。秋になると葉は紅葉し、赤、黄色、橙色と様々に色を変える。葉には毛が少ないかなく成木で裏面に白色を帯びることでカスミザクラと区別できる。夏になると黒紫色の実をならす。実は小さなえんどう豆程度の大きさだがなりやすい。鳥が良く食するが、人間にとっては小さく目立たないため食用にはされていない。

 

分布域
分類学上の種としてのオオヤマザクラは東アジアの冷温帯を中心に分布する。日本の施政権が及ぶ範囲では北海道や東北地方を中心に分布し、南限は九州。日本の施政権が及ばない地域と外国では、南千島、樺太、中国、朝鮮半島、ロシア沿海州などに自生する。種の下位分類の変種のレベルではオオヤマザクラ(var. sargentii)とキリタチヤマザクラ(霧立山桜、var. akimotoi)に分類され、オオヤマザクラの分布域の最南端の九州に生息するのがキリタチヤマザクラで、宮崎県五ヶ瀬町の白岩山周辺にのみ分布する。石灰岩という特殊な環境下では珍しい植物が自生しやすく白岩山もこれに該当する。

 

同じ冷温帯に分布するカスミザクラに比べて、湿潤地でより自然度の高いブナの天然林に生息している傾向がある。オオヤマザクラよりカスミザクラの方が1週間ほど花期が遅いためある程度は種間雑種を避けられているが、時期が重なって咲く個体がある場合は種間雑種が生じ、こうして生まれた個体はアカツキザクラと呼ばれることもある。

 

利用
比較的寒さに強いため、日本では北海道や東北地方を中心として鑑賞(花見)用や街路樹として積極的に植樹されている。サクラの中では紅葉が見事で、枝が傘状より横に広がらない広卵上であることから、関東以北では「山桜」を植樹する際にヤマザクラよりも好まれる傾向がある。また日本国外でも同様に利用されており、アメリカや英国には1908年に移入された。気象庁の桜の開花予想の標本木に全国的に使われているのはソメイヨシノであるが、気候による生育問題から例外的に札幌以東・根室以西ではオオヤマザクラ、根室市はチシマザクラ、沖縄県はカンヒザクラが使用されている。

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