前回の記事でわたしの友人に一人「赤ひげ」のような医師がいると紹介しました。彼は自分の重病を長年かかって治してくれたこの世の中に感謝して、今恩返しをしていると言いました。人は長い人生の中でどのようなことを体験するかによってその考えも行動も形が決まっていくように思いました。みなさんの周りにもきっと赤ひげはいると思いますので探してください。

今回の闘病記もそろそろ終わりに近づいてきたようです。病名すら知らなかった無知の病を体験し、それ故に新しい病院、新しい医師、新しい看護師、新しい療法士と出会って感じたことをそのまま披露してきました。自分では頭に浮かんだままを正直に書いたつもりですが、果たして読者の方々にまともに受け入れられたのかどうかわかりません。何せ片方に圧迫された脳で考えたことですから。(笑)

闘病記もそろそろネタ切れかと思い始めていた時に、岡山県倉敷市から一枚のハガキが届きました。そんなことをわざわざここにとお思いになるかもしれませんが、実は送り主がこれまた医師なのですが、パソコンやメールが嫌いで未だに時々ハガキを送ってくるやつなのです。前稿で紹介した高校3年の同じクラスにいたもう一人の友人が倉敷市で開業医をしているのです。

そのハガキは、病のため、少し前に故郷で開かれた同窓会に出席できなかった私を気遣って送ってくれたものでした。ハガキの縁からこぼれ落ちるほどに書き詰められた小さな文字は、学生時代の彼の書き方そのものでした。高校を出て私は大学に入り、彼は一流大学の医学部を目指して一浪していた時、月に何度もハガキが届きました。

それらのハガキには、挨拶や暮らしぶりなどの記述は一切なく、彼が受験勉強でぶつかった英語の難問を集めて、私に解いて見ろと挑戦してくるものでした。私が英語が好きだったことを覚えていて、こいつなら解けるのだろうかそれとも解けないのかと試しに送ってきたものでした。中身は全て忘れてしまいましたが、たった一つだけ今でも忘れられない問題があります。

What is the largest ant in the world?
答えを見る!

 

さて、前置きが長くなりました。ハガキの彼F君は、中学から同じ学校で身長が180㎝ほどもあり、陸上部で所謂、華やかな生徒というイメージがありました。ただ、途中で彼の姓が、NからFに変わったということがあり、事情があって養子に行ったと聞きました。特別に親しい訳でも仲が悪いということもなかったのですが、体育の授業の相撲で一度、私が彼を投げ飛ばしてからは何かにつけてライバルと言われるようになりました。

高校に進学してからも2年生までは同じクラスにはならず、3年生になって初めて同じクラスになりました。そのクラスは全10クラスのうちただ一つの理科系志望者のためのクラスでした。彼は早くから医師を目指していたので当然ですが、私は文科系志望にも関わらず理科系のクラスに乱(珍入)したのです。理由は、担任の先生が英語のI先生で、小学校6年の時からずっとその先生の英語塾に通っていたからです。私と同じく珍入した文科系の生徒は都合7人おり、I先生は私たちのことをいつも「文科系崩れの紅衛兵」と呼んで茶化していました。

私たちの学生時代ならいざ知らず、今どきハガキって古いなあ、メールでやり取りすれば楽だし長文も書けるしこんな便利なものはないのにと不思議に思い、返信にメールアドレスを教えるように書きました。ところが、それに対する返事はこうだったのです。
「月曜から土曜まで毎日長時間、多くの患者を診ていて、週末になると疲れがどっと出て何もする気になれない。パソコンや、メールなど面倒くさくてとても個人的にやる気がしない。どうしても必要なときは奥さんにやってもらっている」そうだ。

「幸い自分はこの歳までずっと健康で殆ど休むこともない。いつまでやれるかわからないが、出来る限り病で苦しんでいる人を少しでも癒してあげたい。」とこう言ってのける。彼はそれほどの人格者だったのか、そんな記憶がない。楽しみというものはないのかと聞くと、唯一の趣味は大相撲を見ることだという。

大相撲が巡業でが倉敷に来た時に初めて追手風部屋の力士たちと食事をする機会があったが、その時に孫ほどの年齢の子たちが、身体をかけてそれはそれは懸命に取り組んでいる姿に感動した。それ以来この子たちが立派に成長するのを見たい。出来るだけの応援をしたいと思ったそうだ。部屋全体を応援しているのだが、中でも一押しは、昨年九月場所、新入幕でいきなり11勝4敗と最後まで優勝争いをした翔猿だそうだ。

驚いたのは、翔猿には化粧まわしを贈ったという。開業医で患者が毎日途絶えることがないというから、お金は有り余っているだろうから、100万円くらいは何ともないのだろうが、それにしても・・・身近な同級生がと考えると何とも驚くやら羨ましいやらである。以来、彼からのハガキはいつも「猿ちゃんは・・・」で始まる。私の身体を気遣うのはその後になってしまった。

患者のために一生懸命にやっていることはわかったが、果たして医師としての腕はどうなのか。判断の基準になるかもしれない話を一つしておかねばならない。以前私が癌の手術をした後で、実はこうだったとそれこそハガキに少しだけ書いたことがある。それに対して彼が寄越した返事には医師としての見立てや治療方法、今後の注意事項など例によって小さな文字で細かく書かれていた。そのひとつひとつを検証すると、専門医である私の実際の執刀医が言ったことと寸分違わない内容だった。専門外のことなのによく勉強しているなと感心した。

余分な話を書いてしまったが、私の言いたいことはお分かりいただけるものと思う。月曜日から土曜日までびっしりと待機している患者の一人一人に寄り添って懸命に医療に勤めている姿が私には目に浮かぶ。特別なアナログ人間ではないはずの彼が、こんな便利なメールに見向きもしないほど毎週疲れて、唯一の趣味が大相撲の応援とは・・・。

彼にも「赤ひげ」の称号をあげたい!

ヤタガラス