6.おわりに
今回、実際にアクラを訪問して感じたのは、現地の気候と生活環境の厳しさである。英世が滞在した1927-28年当時は、クーラーはなく、水や電気の供給も十分ではなかったはずだ。さらに、英世の51歳という年齢(現在の70歳くらい?)を考えると、体力的にも大きな試練であったと思われる。そこまで苦労してアクラの地で研究したのは、なぜか?単に当時彼に向けられていた黄熱病の研究結果への批判を払拭するという、個人的な名誉欲だけでできるものではあるまい。英世が、自らの命をかけて(体力の衰え、および黄熱病、マラリアなどに感染するリスクを考えれば、こう表現しても誇張ではない)西アフリカへ向かったのは、この人類を苦しめている病気の原因を突き止め、犠牲者をこれ以上増やさないという研究者としての使命感によるものだと強く感じた。
今回のアクラ訪問では、残念ながら英世に関連する新資料を発見することはできなかった。むしろ、英世がコレブ病院の実験室で使用していた器材など、貴重な遺品がどんどん散逸しているように感じられた。こうした状況を、何とか食い止めることが必要である。幸い、この資料室の保全には、日本の予算がつき、2010年に整備がされることになったことは喜ばしい。
また、2006(平成18)年に当時の小泉元首相がここを訪問した記念に、「野口英世アフリカ賞」が、ノーベル賞に匹敵する賞を目指して創設された。5年ごとに開催されるアフリカ開発会議(TICAD)の機会を利用して授賞される。受賞対象者は、アフリカでの感染症等の疾病対策のための研究及び医療活動のそれぞれの分野において顕著な功績を遂げた者であり、受賞者(2名)にはそれぞれ賞金1億円が授与される。第1回受賞者(2008年)は、医学研究部門で、ブライアン・グリーンウッド博士(ロンドン大学衛生熱帯医学校教授)、医療活動部門で、ミリアム・ウェレ博士(ケニア国家エイズ対策委員会(NACC)委員長)と決まった。
アクラでの英世の活動は、黄熱病の研究で、黄熱病患者の治療でなかった。そのため、ガーナの一般人の間で、野口英世の名はそれほど有名ではない。しかし、人類のためにアクラで亡くなった英世の努力は、我々日本人の誇りであり、それを世界に、そして後世に伝えていく活動は、日本人が経済合理性のみに生きる国民ではないことを示す証のひとつの伝承でもある。この小文が、その一助となれば、望外の幸せである。
(完)

エッセイスト 齋藤英雄

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