ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その26) カンタベリーへの旅

(前回まで)安倍元首相の銃殺という凄惨なニュースに接して、やりきれない気持ちになった筆者は、古い歴史に触れたくなり、大英図書館に出かけました。そこで、1215年に当時のジョン国王が印璽をしたとされるマグナカルタ(複製)にじっと見入るのでした・・・・・・
 
 
7月9日(土曜)晴れ時々曇り
 
英国渡航が決まったときから、ぜひ訪れてみたいと思っていたのがカンタベリーです。
快適な列車の旅
ロンドンのヴィクトリア駅からカンタベリー・イースト駅行きの列車の切符はネットで予約してありました。

土曜の早朝、アパートからハムステッド駅まで約10分の道のりを初めて歩きます。ビクトリア駅に行くにはいくつかルートがあったのですが、初めての道、初めての駅を使ってみようと思い、このルートを選びました。

 
朝の空気が冷たい。思いの外坂道が続きます。少し息が切れますが、タッタッとリズミカルに歩いて行きます。ようやくハムステッド駅に到着し、そこからビクトリア駅に向かいます。

ビクトリア駅に着いて、地下鉄からナショナル・レイルウェイズ(地上駅の路線)に乗り換えます。
駅構内のチケット発行の端末にネット予約番号を入れると、切符が印字されて出てきます。

電光掲示板に8時10分発の列車の出発ホームが表示されるのを待ってから、チケットを自動改札に通します。
発車の時刻になると、発車のベルもなく静かに列車は走り出しました。1時間30分の旅は極めてスムーズで快適な体験でした。(あとで分かったのですが、英国の列車は遅れたり、運休したり、けっこう旅行者泣かせで、この快適な列車体験はきわめてラッキーなものだったのです)。

 
カンタベリーに到着
カンタベリー・イースト駅に到着しました。駅を出て、町を囲む壁の上の道を歩いて町に向かいます。

なんとなく牧歌的な雰囲気がただよっています。町の中にはいっていくと、中世のたたずまいを湛えています。

目指すは、今回の旅の一番の目的であるカンタベリー大聖堂です。町の中から、大聖堂の特徴的な尖塔が見えてきました。

 
カンタベリー大聖堂
ロンドンから東へ電車で1時間30分、カンタベリー大聖堂に来ています。

1170年12月29日、ここで大司教トーマス・ベケットは、ヘンリー2世の配下の騎士4名によって暗殺されました。

トーマス・ベケットは、カンタベリー大司教でしたが、教会の力を制限しようとしたヘンリー2世と対立します。
そしてベケットは、ヘンリー2世の言葉を忖度した4人の騎士に教会内で暗殺されました。その場所が3本の剣で示されています。
ベケットの死後さまざまな奇跡が起こったと言われ、カンタベリー大聖堂は一種の聖地巡礼と目される場所となり、訪れる人々が一気に増えたのでした。

 
また百年戦争で活躍したが、王位に就く前に亡くなったエドワード・ブラックプリンス(黒太子)の墓もここにあり、永遠の眠りについています。

聖堂内に安置されている墓の前に佇んでいると、なぜかこんな言葉が脳裡をよぎりました

「死者に鞭打つでない。鎮魂の祈りを捧げよ」
 
 
聖アウグスティヌス修道院跡
6世紀の初め、当時の教皇グレゴリウスは、ローマ市内でアングロ人の若者たちが奴隷として売られているのを見つけました。

彼らが異教の地、イングランドから連れてこられたのを知り、アウグスティヌスにキリスト教布教を命じました。そこで、ここにアウグスティヌスが派遣され、修道院が建てられ、キリスト教布教の拠点となりました

のちにヘンリー8世によって(カトリックと袂を分かち)、修道院解散が命じられます。イングランド国教会へとイングランドのキリスト教が転換され、多くのカトリック教会や修道院が取り壊されたのです。そのため、この修道院も廃墟と化してしまいました。そして長い年月が過ぎました。いまは遺跡が掘り起こされ、昔日の面影が蘇っています。

 
カンタベリーの街で購入した灯台の絵
この書店の主人との会話は楽しいものでした。書店の名前がチョーサー・ブックショップです。この名前は、「カンタベリー物語」の作者の名前からとられていることは明らかです。下の写真がその書店です。カンタベリー物語の子供向けのペーパーバックスが売られていたので、店の主人にこれはだいぶオリジナルの表現を変えているんじゃないですかと尋ねました。子供向けに分かりやすく書いてありますと言うので、性的な描写もかなりカットしてるんでしょうねと再び聞いてみました。おそらくそうでしょうねとニヤリと笑った。
この灯台の絵が気に入ったので買い求めました。
主人は、この書店の絵はがきをおまけにつけてくれました。カンタベリーへの旅を締めくくる思い出のお店です。(実際に写した写真と見比べると、この絵葉書の当時から今はだいぶ改装されているようです)。
 
(つづく)

 

風戸 俊城

ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。

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