ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その42) 英国王朝史③プランタジネット朝(後編の1)

本日は、特別編の英国王朝史第3回です。
 
プランタジネット朝(後編)

プランタジネット朝の国王の覚え方は次でした。

・ヘンリー2世——>便利に(ヘンリ2)
・リチャード1世——>リーチ(リー1)
・ジョン————>チョンの間に着く
・ヘンリー3世——>便利さ(ヘンリ3)
・エドワード1世——>大江戸線1番線
・エドワード2世——>2番線
・エドワード3世——>3番線
・(エドワード黒太子)——>(でも停電で)大江戸線真っ暗
・リチャード2世——>チャリに(チャリ2)(乗っていくか)

ヘンリー3世について覚え書き

ジョンの子。ジョンが呑まされたマグナカルタを無視したために貴族の反発を受けました。
・さらには、貴族を率いたシモン・ド・モンフォールに武力で屈服させられ、1265年に初めて議会を開催します。
・シモンはジョンの娘婿で、ヘンリー3世にとって義弟で、そんな身内に反乱を起こされたのでした。そして、国王の課税には議会の同意が必要であるという原則が確立しました。

つぎのエドワード1世です。

・外交では近隣諸国との戦争に明け暮れ、ウェールズやスコットランドに侵攻して併合しました。
・イングランドが保有していたフランスの領地、アキテーヌを巡ってフランスと戦争(英仏戦争)した。この戦争はやがて百年戦争へと繋がる伏線となります。
一挙に話が変わりますが、チャリングクロスという駅をご存知ですか。ロンドンの中心の基準点にされることが多い、東京の日本橋みたいな地点です。この駅前にエレナー・クロスという祈念碑が建っています。

1290年エドワード1世は、スコットランドを訪れ妻のエレナーを待っていました。しかし王妃はロンドンからスコットランドに向かう途中で病死してしまいます。エドワード1世は、王妃の遺体をウェストミンスター寺院に埋葬するための帰途、12の地点に十字架(クロス)を建てることにしました。その最終地として、12番目の十字架が建てられた場所がチャリングクロスです。

現在チャリングクロス駅前に建っている祈念碑はレプリカで、実際に立てた正確な地点はトラファルガー広場の南側(チャールズ1世の馬に乗った像が建っている場所)と言われています。

ところで、チャリングクロスと言えば、映画「チャリングクロス街84番地」をご存知しょうか。見終わった後、なんとも言えない幸せな気分に包まれる映画です。派手なところは1つもありません。でもこれぞ名画といえる作品です。映画の紹介は次から(ブログしろーと映画缶より)。

物語は戦後間もない時代のNYで幕を開ける。英文学好きの女流劇作家ヘレンは、何処の本屋でも英文学の本をろくすっぽ置いてないことに憤慨する毎日を送っていたが、ある日新聞で英国の古書店の広告を見つけ、嬉々として注文の手紙を出す。

やがてはるばる英国から送られてきた本は、どれも良質で値段も良心的、そして古書店主フランクからの温かみのある返信も同封されていた。すっかりこの古書店とフランクの事が気に入ったヘレンは、それからというもの度々注文を出しては、フランクに近況を伝える手紙を添えるようになり、フランクもまた、商品と共に毎度毎度律儀に返信を寄越すのだった。

以来数十年と続く事になった、ヘレンとフランクの、本と手紙越しの心温まる遣り取りを描いた作品。

ヘレンに、アン・バンクロフト。(注 『奇跡の人』の教師サリバン役)
フランクに、『白いカラス』『日の名残り』『ドラキュラ』『マスク・オブ・ゾロ』『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンス
フランクの妻に、『ラヴェンダーの咲く庭で』『眺めのいい部屋』『プライドと偏見』『アイリス』のジュディ・デンチ。(注 最近の007シリーズのボンドの上司役)
いちどご覧になることをおすすめします。
今日はここまで。
プランタジネット朝がなかなか終わらない。汗

後編その2でプランタジネット朝にけりをつけます。
 
(つづく)

 

風戸 俊城

ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。

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