ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その43) 英国王朝史④プランタジネット朝(後編の2)、ランカスター朝、ヨーク朝
百年戦争が起こったのは1339年。「いざ作戦」ですね。終わったのが1453年(都市はゴミと化す)です。
百年戦争の原因は大きく2つありました。
原因1 大陸側フランドル地方をめぐる争い(フランドルではイングランドの羊毛を使って毛織物を作っていた-つまり、経済面での核心的利害が絡んでいた)
原因2 エドワード3世がフランスのフィリップ6世に対抗して王位継承を主張した。
背景として、フランスでカペー朝が断絶し、ヴァロワ朝が成立しことがあります。フィリップ4世に男子がなく、弟の息子であるフィリップ6世(フィリップ4世の甥っ子に当たる)が王位継承、これに対し、フィリップ4世の娘を母に持つエドワード3世(孫に当たる)も王位を主張したのです。
中世でのイングランドとフランス間での国土や王位継承を巡る争いは縁戚同士の骨肉の争いだったんですね。
さて戦況はどうだったんでしょうか。戦争は115年も続いたのですが前半、後半で見ていきます。
前半はイギリス優位。特にエドワード黒太子(エドワード3世の長男)の活躍。The Black Princeってかっこいい。しかし、黒太子は病死しちゃいます。
しかし後半はフランスが逆転。ジャンヌ・ダルクが国王シャルル7世を助け、フランス優勢となる。イギリスはカレーの地を除き、撤退します。
(結局、イギリスはフランス料理を食べ損なって、カレーだけになっちゃった。泣)
はい、次にバラ戦争です。
ランカスター家は赤バラ、ヨーク家は白バラを紋章としていたのでバラ戦争と言われます。
それでは、王様の覚え方です。
ランカスター朝
ヨーク朝
(江戸弁で四の五の言うチャーリーさん、ですわ)
結局、リッチモンド伯爵ヘンリー・テューダーがリチャード3世を倒し、「ヘンリー7世」としてイングランド王に即位し、テューダー王朝が誕生します。
このヘンリー7世は、1486年1月、ヨーク家の王だったエドワード4世の長女エリザベスと結婚します。
そして両家の紋章である赤いバラと白いバラを組み合わせた「テューダー家のバラ」という新しい紋章をつくり、ここに30年間続いたバラ戦争はようやく終結したのです。めでたし、めでたし(と言いたいが、そうはならなかったのが現実とか)。
はい、本日はここまで。
風戸 俊城
ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。