ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その16) フラット近辺から駅までの新経路を探った
(前回まで)バンク駅まで地下鉄で行って、The Bank of England (バンク・オブ・イングランド英国中央銀行)を訪ねた筆者だった・・・・
7月2日(土)(②)快晴
週末になり、フラットの近くにある「フロイト博物館」を訪ねてみました。驚いたことに、フラットを出て、ほんの1分も歩くか歩かないほどの近距離にその建物はありました。
今日は外観を視察しただけで、後日じっくりと訪れてみようと考えました。
写真左は、フラットを出たところ、いつもは駅に行くには門を左に曲がるところを逆の右に曲がり、さらに右に曲がったところの道路です。フラットは写真の右手前に位置しています(写真には見えず)。なんと、わりと高級住宅の雰囲気を漂わせています。
その道路を進むと、左手にこのきっちりと刈り込まれた垣根(写真中)に囲まれた、立派な邸宅が見えてきました。これが心理学者、フロイトが家族と一緒に住んでいた家で、いまは博物館になっています。まだ時間が早く開館していませんでした。右の写真は前庭の様子です。
さらに、その道路を進んでいったところに、教会がありましたので、開館するのを待って、中を見学しました。
ボクの他には、おじいさんが1人いるだけでした。
壁に飾られている肖像画(写真中)をのぞき込んでみます。
「おやおや、なんとなく見覚えのある人物だぞ・・・」
その人物の立像があり(写真右)、名前を読んではたと気づきました。
「あっ、トマス・モアだ!」
トマス・モアは、「ユートピア」を著述したことで有名な人物。彼の名前は世界史で必ず出てきます。
ボクはロンドンに来る前に1ヶ月以上、英国の王朝史について個人的に学習していました。その国王の中でももっとも有名な人物の1人、ヘンリー8世の離婚問題を巡って、熱心なカトリック信徒であり大法官だったトマス・モアは、その離婚には正当性がないことを告げます。これを恨みに思ったヘンリー8世からは、後日反逆罪に問われ、斬首刑に処されます。その首はロンドンブリッジに晒されたといいます。
後年彼は、聖人として列せられます。
さて、教会を出て、駅の方向に向かって長い坂があり、それを降りたところ、駅舎が見えました。
実は、従来使っていたルートでは地下道を通るのですが、そこにホームレスが布団にくるまって寝ており、あまり近づきたくない雰囲気だったのです。
写真左が坂道を下から見たところ。右は、最寄りの駅(フィンチリーロード駅)のプラットホームです。土曜の朝なので乗客の姿はまばらです。
こうして、通勤のフラットから駅までの新しいルートが開けたのでした。
(つづく)
風戸 俊城
ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。