笑説「ハイムのひろば」41~クマノザクラをハイムへ!
2018年3月、森林総合研究所から「クマノザクラ」の発見が発表された。日本のサクラ属の基本野生種としては1915年(大正4年)に「オオシマザクラ」が発見・命名されて以来約100年ぶりの発見であった。西野敏彦は、小さいころから山林に入って見かける桜はヤマザクラとしか認識していなかったので、改めて新種の桜と言われると何だか不思議な気がしたものだ。
森林総合研究所と和歌山県林業試験場はクマノザクラが高い観賞価値を有すると判断し、クマノザクラの種苗普及を計画。今後、共同で優良個体を選抜した上で増殖方法を確立し、病害への抵抗性の検定を行うことで、高品質なクマノザクラの普及を目指している。その後、個人向けの苗木の販売は2020年春に開始された。
ここまでの事実はニュースで知っていたし、日本の代表的な花である桜の話題が出身地である熊野と繋がっていることに、西野は少なからず興奮と喜びを感じていた。と、そこに、同じマンションの住民の友人・江上和夫から連絡が入った。江上は700世帯以上あるこのマンションの住民の中で唯一西野と同じ「熊野」を出身とする友人である。熊野は熊野でも西野は和歌山県新宮市、江上は三重県熊野市出身である。
「クマノザクラの苗木の販売が始まったので、それをハイムに持ち込んで植えることができたらいいなと思うのだけどどうでしょう」と言う。「それはいいアイデア!と西野は諸手を挙げて賛成した。毎年春になって、故郷で見て来た桜の花を身近に見ることが出来るなら、こんな嬉しいことはない。それに、友人たちも「百年振りに発見された新種」と話題になった桜を近くで見ることが出来ればきっと喜んでくれるだろうと思った。
この思いつきを実現するためには、緑の環境委員会の了承を取る必要があった。そこで西野は早速、宮下直近に連絡を取る。宮下はこの笑説で度々登場してお馴染みだが、それだけではなく、ホームページ「緑の環境委員会」、「ハイム蝶百科図鑑」の維持管理をはじめ、「ハイムのひろば」全体の活動に多大な貢献をしてくれている人物である。
ハイムの緑の環境は非常に充実しており、住民が四季折々に木々を楽しめるようになっている。それは、緑の環境委員会の日々の努力と緻密な活動のお陰である。そして現状と言えばこれ以上余分の木を植える余裕はあまりないらしい。しかし、江上、西野の二人の熱意を感じた宮下は次回の委員会の席で諮ってみると約束してくれた。そして数週間後に開かれた委員会で了承され、あとは苗木の到着を待つばかりとなった。
2021年5月、江上は、購入して自宅(三重県熊野市)に保管していた苗木2本を車でハイムまで運んできた。宮下は、前もって出入りの植木屋に話を通してくれており、早速植木職人の手で植樹された。江上、西野もこの植樹に立ち会い、宮下とともに綺麗な桜の花が見られるのは2年後か、それとも3年後かとその時に思いを馳せた。
それから数ヶ月間、近くを通るたびに苗木の様子を見るようにしていた。移植直後は根も傷んでいて本当にこの地に根付くかどうか気懸りではあったが、移植後に次々と出た新芽もだんだん大きくなるところを見ると、これは活着(ちゃんと根付くという意味)したとひと安心した。
後は、夏場を乗り切れば本物だと思っていたところが、暫くして事態は急変していった。新しく大きく広がっていた葉が突然先端から茶色に変色し始めたのだ。おかしい、これは何か変だ。植えた場所はビル風が多少気になる場所ではあったが、風による葉の傷みかとも思ったが、どうもそうでもないらしい。そして、新しい葉だけでなく次々と同じように枯れ始めたのだ。葉がかなり落ちてしまい、どう見ても枯れていくように思える。
しかし、よく見ると幹の下の方ではピンク色をしたそこから芽が出そうな個所が何カ所も見られた。もしかすると、今ある葉は最悪落ちてしまっても、すぐこのピンク色の所から芽を吹きだすのではと期待をして見守っていた。しかし、最終的にこの芽になりそうなところも活動を休止してしまったのだった。残念ながら、ハイムでの初のクマノザクラ移植の試みは多くの人たちの期待に沿えぬまま終了することとなった。
そこで、今度は、苗木を熊野市で植え、1年育てた後にハイムに植樹する計画を立てています。丁度大規模修繕中でもありますし、1年の間に体力(樹力?)がついてよいかもしれません。夢が実現するかどうかわかりませんが、再挑戦にご期待ください。
今、江上は、購入し熊野市の自宅に植えた苗木を見つめて、元気に育てと願っている。その思いを受けて西野は、ハイムに根づいてくれることを切に願いながら来年のその時を待っている。
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蓬城 新