笑説「ハイムのひろば」48~「ゆきちくらぶ」

笑説ハイムのひろばシリーズの35「ハイム花の図鑑II~強力助っ人現る!」で紹介したように、この時に現れた強力な助っ人がソフィー杉下だった。彼女のおかげで「ハイム花の図鑑」の記事が順調に増加し、おかげで内容も充実していったことは述べた通りである。

西野が杉下を初めて知ったのは当時「ハイムのひろば」にあった掲示板(BBS)への投稿であった。誰かが描いた記事に対してそれに答えるような形で参加していた。彼女はつくる会メンバーの友人の一人で当初「関西在住のSさん」というハンドルネームで紹介されていた。

その後、掲示板のみならず通常の記事に対するコメントも書いてくれるようになり、元より閲覧者との相互交流を目指すホ-ムページ「ハイムのひろば」にとってありがたい存在だった。そこで文芸館への投稿を依頼したところ快く引き受けてくれて何篇かの投稿を掲載するようになった。

ハイム住民からの投稿が十分であったなら、外部からの参加は実現しなかったかもしれない。住民の投稿で賑わうサイトになればと理想を描いていたが、スタート当初の盛り上がりが薄れると投稿は次第に少なくなっていった。ハイム住民がホームページというものに慣れていないこともあったと思う。

住民の投稿が期待する程集まらなくなった時、話し合った結果、外部からの投稿も受け付けることになった。友人・知人にも参加を呼び掛けてさまざまな投稿が増えれば、それが呼び水となってまた住民の参加も増えるのではと考えたのだ。

杉下は、大学時代の友人・知人と一緒に作った「諭吉倶楽部」という会でメールマガジンの発行を担当していた。そこには、会員から集めた福澤諭吉に関する論文やエッセイなどが掲載されており、西野は、このマガジンは内容の濃い立派なものと敬服したのを覚えている。

この話を聞いた時既に、この人は書くことを苦にしない、むしろ楽しんで出来る人なので他にも活躍できる場があるのではと感じ始めていた。実はこのことが後に述べることに繋がっていくのだ。

西野には個人のウェブサイト「熊野エクスプレス」があるが、当時は、このサイトの前身である「新宮ネット」を運営中だった。管理運営は西野一人だったが、各地に住む友人・知人にも参加してもらっていたので、その一人として杉下に声を掛けてみた。

結果、杉下は喜んで参加してくれることになり、毎日のように投稿を続けることになった。おかげでサイトが盛り上がると喜んだ矢先トラブルが発生した。契約しているサーバーの容量が限界に達し、それ以上の投稿ができなくなるという事態になったのだ。新企画がスタートしたばかりなのに杉下のやる気を削いでしまう結果になり、申し訳ないと思った。

新しい人と出会って一緒に活動するという楽しいはずの出来事がほんの短期間で終わってしまうことになった。これには西野は困り果てた。杉下という人物と出会い、ホームページというものに興味を持ってもらい、さらに積極的参加が実現したというまさに”八咫烏”の面目躍如であったはずが。

何とかこの事態を乗り越える方法はないものかと、考えに考えた末に出した結論は、彼女が自分のサイトを持つことの提案だった。あれだけ積極的な投稿意欲があれば自分のサイトに好きなだけ投稿できる。それは西野がいつも友人たちに勧めていることで、ウェブ活動による脳の活性化が出来て健康にもいいことなのだ。

提案に対しての杉下の答えは「Yes」だった。ただ、そのためにはWordPressを一から覚えてもらわなければならない。土台だけは作り上げても、手渡した後は投稿だけでなく全てを自分で管理・運営する必要があるので簡単ではない。サイトを引き渡すまでには時間もかかるし、西野、杉下双方に相当な覚悟が必要だった。

しかし、「ハイムのひろば」や「新宮ネット」への参加でその投稿意欲、熱心さを感じていた西野はこの人なら出来ると確信していた。アドバイスはすべてメールを介してになるが、一人できるようになるまで責任は西野にあった。その結果できたサイトが「ゆきちくらぶ」である。

自分のサイト「ゆきちくらぶ」が出来て以降は、まさに水を得た魚であった。これまでメールのみで発信していたマガジンは全てサイトでも見ることができるようにアップされるようになった。サイトを持つとマガジンでは伝えきれなかったことが格段に増える。文字主体のマガジンよりも画像を活かせるサイトはさらに楽しいものになる。

時々手に負えないことが起こった時(特にサーバー関連など)は今でも西野に連絡し手助けを得ているが、通常の運営は杉下一人で全てやっている。WordPressの知識ゼロからスタートしたわけだが、今やメニューの構成やバナーの制作までできるまでに成長した。

最近では、声楽家である彼女が自らのピアノ伴奏で吹き込んだ歌もアップするまでの充実ぶりだ。このように新しいアイデアをあれこれ考えながら作り上げていくことはそれなりに大変だと思う。しかし、それらの作業を苦と思わず楽しんでやってくれていると西野は信じている。

名前が”杉下”だけに最早、ホームページ作りの”相棒”(!?)なのかもしれない。

蓬城 新

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Optionally add an image (JPEG only)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください