手拭いの暖簾(8)金魚

ずっと昔のお話をします。昭和20年後半から30年代にかけてのことです。

日本で一番長い大阪天神橋筋商店街。1丁目から6丁目までだんだんに賑やかになっていきます。7丁目・8丁目は住宅街。9丁目もあったように記憶していますが・・家はその3丁目を一筋東に入った天神さんの裏門筋にありました。2丁目にある日本三大祭り・船渡御の有名な神社です。小学校を通り過ぎて国道一号線を超えると天神さんです。歩いて10分も掛からない道です。

その頃のお小遣いの使い途は、金魚すくいと芋飴。帰りに2本の棒に甕(かめ)から掬い取るようにして巻いてもらった芋飴を落とさないようにグルグル巻きながら帰ったものです。

遊びの少ない時代で金魚すくいは大繁盛。おばさんが細い針金で丸い輪を作り続きに取手を付けて和紙を張った手づくりの網です。糊がしっかり乾いていない網が当たったら災難!バサリと抜け落ちたこともあります。上手になるとすぐにアルミのボールが一杯になります。

その頃デパートの屋上にも金魚すくいはありました。梅田の阪急は繁華街なので子供同士では行かせてもらえず、北浜の三越へ遠征しました。どちらへも徒歩30分ほどです。近くの3丁目のお店は子供が多くて金魚が疲れていて楽にすくえました。三越はビジネス街にあって屋上で遊んでいる子供は殆どいません。金魚もいじめられなくて元気いっぱい。でもすくうことが出来なくてしょんぼり帰ってきたことを思い出します。

今、金魚すくいはどこで出来るのでしょう? 網はプラスチックでつくられているのでしようか? それにしてもそんなところへ出掛けることを親も許し、子供同士で行けたなんてなんと平和な時代であったことかと懐かしい気持ちがします。

AZ

手拭いの暖簾(8)金魚” に対して4件のコメントがあります。

  1. アバター hiroba より:

    金魚すくいと芋あめ。懐かしいですね。お祭りがあると必ず行ってやりました。よく器用と言われ大抵のことはできたのに、金魚すくいだけはあまり上手なほうではありませんでした。

  2. アバター chansumi より:

    とても粋な手ぬぐいですね!!芋あめは遭遇したことがなかったですが金魚すくいは懐かしいです。私の時代は、ごく幼い時は紙だったように思いますが、その後はモナカでできていました。(調理道具の)おたまの先の小さめの形のモナカに二箇所針金が刺さっていて、水に濡れるとすぐクニャりとなって、金魚の取れる人を尊敬の眼差して見ていました。私はからきしダメで、いつもお情けに金魚屋さんがくれるのをもらって帰ったのを数十年ぶりに思い出しました。毎回結構長生きして楽しかったです。

  3. アバター az より:

    コメントをありがとうございます。金魚すくいの思い出を共有することが出来て、嬉しくも楽しいことです。このコメントに元気を頂いて一旦あとがきも書きましたが追加を書き始めました。手拭いの暖簾のご縁を大切にしたいと思います。

  4. アバター az より:

    皆様それぞれに金魚すくいの思い出をお持ちのようですね。年代や土地によって様子がいくらか異なるようですが最中で出来たすくい網は初めてお聞きします。コメントを頂いて元気が出ました。ありがとうございました。金魚すくいの金魚は時に弱っていたりしますが元気丸の金魚で長生きをしてよかったです。

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