おぼろげ記憶帖 06 いただきます
食事の最初に
「いただきます」、
終わりに
「ごちそうさまでした」
と手を合わせて言います。
なんとたくさんの意味と気持ちのこもった言葉でしょうか。
野菜や果物、魚や肉その他の加工品の数々をつくる人達、流通の人たち。調理してテーブルに乗せる人たち。幾多の人々の手を煩わせてやっと食事が出来るのです。
感謝の気持ちを込めての 「いただきます」。
子供のころ 「お米はお百姓さんが汗水たらして作られたのだから一粒でもおろそかにしては眼がつぶれる。バチが当たる」 と言い聞かされていました。どうして眼がつぶれるのか訳も聞かずにいました。
そして食べ終われば
「ご馳走さまでした」。
食べることによって命を長らえていることに感謝して明日へ希望を託しての言葉だと思います。キリスト教ではお祈りをされますが、広い世界で一つの単語でこのような含みのある表現の出来る言葉があるでしょうか。本当に素晴らしい言葉だと思います。
国により民族・宗教によっても特徴豊かな料理があります。そしてそれぞれ食事の作法は異なり、それに見合った食べ方があるようです。
東京では世界中の料理を食べることが出来ますから一つずつ試せたら、と思わずにはいられません。日本料理のお箸を使う作法は箸置きから手にするまでの動きがとても滑らかで美しく思われます。もしかしたらお茶事の懐石料理から来たものなのでしょうか。
握り箸・迷い箸・移り箸はお行儀の悪いことでお箸の持ち方も正しく持てば上手に食べることが出来ます。私は幾ら稽古しても正しくは持てずに今に至っています。
ナイフやフオークでは両肩を張っての食事。手で掴んで食べる料理もありますがとても優雅とは言えないようです。
最近は物も食べ物もあふれかえっている日本。それが当たり前になっていて、ともすれば感謝の気持ちを忘れそうになっている私自身がいます。アフリカや東南アジアで食べる物がなくてやせ細っている子供たちがいることを認識して日々を過ごさなくては、それこそ「バチが当たる」かも知れません。
AZ
*写真は、昭和15年当時の家庭での食事風景