ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その18) 遺跡名所探訪①

(前回まで)ロンドン証券取引所からセントポール大聖堂を横目で見て、テムズ川に架かる橋を渡し、テートモダン美術館をめぐり、ロンドン中のおいしいものを集めたようなバラマーケットの賑わいに呑み込まれ、その開放感に・・・・
 
今回は、遺跡名所探訪というサブタイトルでお届けします。英国に滞在中、少なからぬ遺跡名所を訪ねました。ガイドブックにはあまり載っていないけれど、歴史的に意義の深いものばかりです。今後、時々紹介していきます。今回はそのシリーズの第1回です。
 
シリーズ遺跡名所探訪①
 
1.シェイクスピアが上演した劇場跡
2008年、ロンドンの考古学者が、ウィリアム・シェイクスピアがグローブ座に移る前に俳優として出演し、劇を上演した16世紀の劇場の跡を発見しました。

これがその場所です。一見したところ、ただの空き地にしか見えませんし、立ち止まって見る観光客もほとんど皆無です。

「グローブ座劇場の発掘後」という看板があります。

2.The Great Hall(グレート・ホール)の西端
中世の建築物は、何世紀にもわたって失われていましたが、1814年、火災で近隣の建物が焼失した後、グレート・ホールとその印象的なローズウインドウが再発見されました。

それでも、ビショップ・パレスの全容が明らかになったのは、1980年代にサザークが再開発されてからのことでした。

この再開発により、大広間のいくつかの基礎壁やブロックアーチが明らかになりましたが、最も印象的なのは、西側破風の見事なローズウインドウです。

ウィンチェスター宮殿の遺跡は、クリンク・ストリートにあるクリンク刑務所博物館のすぐそばに見えます。

遺跡の中を歩くことはできませんが、手すりから大広間を見下ろすと、とても良い景色を見ることができます。

宮殿はほとんど廃墟ですが、それでもロンドンで見ることのできる数少ない中世の建物の1つです。
3.テンプルバー

現在、テンプルバーはロンドンの中心部、セント・ポール大聖堂の向かいにあるパタノスター・スクエアに再建されています。

テンプルバーは、ストランドとフリートストリートの交差点に200年以上建っており、ロンドンのシティへの唯一の門として現存しています。

1293年に初めてこの場所にバーが登場しますが、その当時は木の柱の間に鎖(バー)があるだけの状態だったと思われます。テンプルに近かったため、現在「リーガル・ロンドン」と呼ばれる地域のインス・オブ・コートとなる弁護士ギルドが組織された地域で、一般にテンプルバーと呼ばれていました。しかし、それから100年余り後、この門は木造の立派な門に変わり、その上には牢獄が併設さ れていました。

1351年の創設以来、テンプルバーは歴史を通して語られてきました。勝利した王がそのアーチを通って帰還した話、メアリー・チューダーとスペインのフィリップの結婚を受け入れるために開かれた話、ヘンリー7世の女王エリザベスの葬列が通り過ぎた話など、様々な話があります。

おそらく国家的なイベントの中で最も重要なものに、スペイン艦隊の敗北を祝うエリザベス1世の大凱旋行列があります。エリザベス1世は、テンプルバーで市長が君主に市の鍵を渡すのを待ち、その際、市長が5本ある市の剣のうちの1本、真珠をちりばめた剣を贈ることでその威厳を高めたということです。この伝統は400年以上守られ、現在では、女王がロンドン市内に入る許可を得るためにテンプルバーで立ち止まり、忠誠の証として市長の剣を差し出すという、国家の重要な行事でこの儀式が行われるようになりました。

下の写真が、クリストファー・レン卿のテンプルバー(写真の背後、門の上に見えるのは、セントポール大聖堂の尖塔)です。
テンプルバーは、クリストファー・レン卿の記念碑として最もよく知られており、彼が設計したことを証明する文書は残っていませんが、レンの息子はこの作品のためのオリジナルの図面を保持していました。

古い門は1666年の大火にも耐えましたが、荒れ果てていました。チャールズ2世の命により、テンプルバーはドーセット州の王立採石場から採れる貴重なポートランド石で再建され、王がこのプロジェクトをいかに重要視していたかがわかります。

総工費1,500ポンドのうち3分の1は、新しい石の門を飾る印象的な4体の堂々たる像の彫刻に費やされました。門の東側には、2つのニッチにデンマーク女王アンとジェームズ1世の石像が、西側にはチャールズ1世とチャールズ2世の石像が飾られました。これは、テンプルバーが街のモニュメントであると同時に、王室のモニュメントであることを示すものでした。

上の写真は、テンプルバーを通り抜けてきたところで、セントポール大聖堂の西側側面を見ています。
 
(つづく)

 

風戸 俊城

ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Optionally add an image (JPEG only)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください