ボクのロンドン滞在記~シン日英同盟めざして~ (その45) わが不始末の記

(前回まで)7月18日月曜日、英国を熱波が襲いました。前回は、そんな酷暑の夜に日本人向けと言っても良い焼肉レストランでの駐在員の仕事ぶりを皮肉交じりで伝えました。
 
しかし、実はその日の朝には、大事件が起こったのでした・・・・・。
 
7月19日(火曜)酷暑晴天

以前に予期せぬことが起こるのがボクの日常では不思議でないと書きました。まあ、それほど失敗談がおおいということです。

またしてもそれが起こったのでした。しかしそれは全面的にボクの責任によるものです。
どういうことか、というと・・・

当日は勤務先である大学のチーム全員が参加する前提で、最後のプレゼンをおこなう予定になっていました。

英国側出向者としてボクが進行のリード約を務め、3分の2のパートを説明するというのが予め設定した役割でした。

当日の朝まで、アパートの自室で日本からの回答を元に一部修正し、最終的に100枚くらいのスライドが完成しました。
大学側担当の女性にそれを送り、準備万端整ったところで家を出ました。

いまとなっては通い慣れた道を通り、会議冒頭のあいさつを考えながら、最寄りの駅まで歩き、ホームに入ってきた電車に乗ります。

乗り換えは1回で、ジュビリー線に乗って、グリーンパーク駅でピカデリー線に乗り換えます。ピカデリー線のプラットフォームまで歩いてきたところで、携帯電話が鳴りました。

日本にいるTちゃん(ボクの前任者)からです。電話に出た途端・・・

「今どこにいますか。会議、もう始まっていますよ」

「ええっ・・・・・・」。

絶句。脇の下をじわりと冷たい汗が流れる。

「いま、グリーンパーク駅でなんとか15分で着くと思う」。「申し訳ないけど、皆さんに頼んで会議を30分遅らせてもらえないだろうか」??

「ちょっとお待ちください」

「やはり、このまま開始することにして、私が自分のパートを先にやります。順番を変えてやることにしますんで」。

「わかった。申し訳ない!」

こういうときに頼りになるのは一緒に働く仲間だ。必ず誰かが助けてくれる(って、言える立場でないことは承知の上で申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、)。

そして写真の通路です。
これは、やや秘密めいた趣の地下道で、サウスケンジントン駅から大学近くまで地下にある一本道なのです。およそ400メートルくらいあるだろうか。普段は外の道を歩くのが気持ちよいので使うことはありませんでした。しかしこの日は未曾有の熱波が襲っていた。地下のひんやりした道を急ぎ、駆け足で大学に向かい始めました。

「いやいやこういうときに慌てて事故を起こしたりしてはいけない」。

 
無理して転んだり、倒れたりして二次災害みたいなことになってはいけないとの心の声が・・・。英国人は絶対に慌てないはずだ。と、妙に気持ちを落ち着かせて、早足に切り替えます。

オフィスに着き会議室に入ったとき、ジェイ君が心配した後の安堵の目を向けてくれました。
他の全員はリモートで参加しています。大画面スクリーンには先にプレゼンをする同僚の姿とスライド。急いで席について自分のラップトップをセットします。

同僚のプレゼンが終わり、ボクの出番となりました。

冒頭に全員に心を込めて陳謝をすることから始めました。

全責任はボクにある、ほんとうに申し訳ありませんでしたと。

その上で、どうしても2つのメッセージを伝えたいと切り出しました。

1つはこのプロジェクトを遂行する上で担当窓口を務め、助けてくれている担当のお二人への感謝の言葉。
もう1つは我が国の前首相が狙撃され亡くなったことに対してエリザベス女王が送られた追悼について。これは日本国と日本国民への思いやりにあふれたメッセージと受けとめており、英日の友好の表れと理解していると述べました。

なんとか思っていることを素直な言葉で伝えることができました。

そして、約1時間のプレゼンをおこないました。

お恥ずかしい限りの失敗談で、本来披露できるものでありません。今回の出張が決して能天気なものでなく、ある意味真剣勝負をしていることを肝に銘じるべく、記録にとどめた次第です。

(つづく)

 

風戸 俊城

ハイム在住。現役時代は中東、東南アジアの4か国に駐在し、40年勤務した後、現在は英国と日本を結ぶ知財プロモーターとして働く。経済・産業分野の翻訳業も手がける。

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